『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.162

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金之御へい、其時太閤樣へ上り候つる、, 見ゆる程に、扨は柴田殿よと、寄手の衆は心付る處に、さわなくて、めん上, を、御構御普請有て、是を柴田殿御本陣と申、諸勢はちりちりになれとも、, 一終に此軍はきたのまけに極りて、味方之勢追詰る、柴田殿は以前より柳, 瀬之上之山御城構有て、御本陣と申候つる、, 手の人數多しと申中に、木下美濃守殿、そのときは木下半右衞門殿と申, 見參、無比類御働かなとて、しよせひ申及候つる、柴田はや北庄へ御かけ, 此城に柴田殿御はた印立、堅固に見ゆるによりて、味方之勢を押あけて、, 候つる、名のり懸てさしより引組て、終に庄助殿御首をとり、則太閤樣御, おつとりまはひてせめられつるに、城中より門をひらきて切て出ると, 一終日北之まけになりて、諸勢悉く敗軍、柴田殿以前ゟ柳瀬之上丸山と申, 庄助となのつて、兵をあまた左右にして、鑓をそろへて、切て出らるゝ、寄, おちありて、かくの〓く之仕置と申なからし候儀、則柴田殿御馬しるし、, かくて玄番は、日暮におよひなは、賤ケ嶽北面を取卷、ひる谷、清水谷、庭戸濱, 〔賤嶽合戰記〕玄番敗北之事付七本鑓之事, 天正十一年四月二十一日, 衞門ト稱, 木下半右, 勝家ノ本, 羽柴長秀, 丸山ノ砦, ヲ圍ム, ストノ説, 陣, 一六二

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  • 衞門ト稱
  • 木下半右
  • 勝家ノ本
  • 羽柴長秀
  • 丸山ノ砦
  • ヲ圍ム
  • ストノ説

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  • 一六二

注記 (25)

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