『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.181

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

大坊主衆は, る、是ゟ國中の土民恐怖して、爰彼へ會合し、兎角屋形へ御侘申には如しと、家老の山川, 方へ訴、兩國へ加勢之義も有之事なれは、一國の本願寺派を僧俗ともに攻絶さんと、兼, 是等寄合評議の上、富樫介泰高江使者を遣し、今度政親殿の働キ、一國の土民を不殘殺, し盡さんとの結搆と見へたり、然らは唇落て齒寒キ道理なれは、我々も出陣に及ふ也、, 而思ひ計ける故、中々承引なし、是非なく土民共會合し、洲崎和泉入道慶覺・河合藤左, 一所に出陣有へきや、若亦高尾の城へ一所に御籠り可被成心中こ候哉、承度と申遣は, 各手勢を具して籠城ある、泰高一人は兼々政親とは不快の間ゆへ、今度籠城はせさりけ, 坊主達と申は、木越光徳寺・磯部正安寺・鳥越弘願寺・若松の道場・山田光教寺等也、, 貴殿當國の守護たれは、罪なき百姓を皆ころしになして、しらぬ顏も成ましけれは、, 衞門尉定久兩人を大將として、加賀四郡の百姓手分してそ相寄ける、爰に加別讚山の大, 參河守に付て、向後屋形樣へ對し意背仕間敷候旨、念頃に歎訴しけれ共、政親今度將軍, 國中の一揆多キ中にも、押野ノ富樫家信・久安ノ富樫家元・山代の富樫泰行、此三家者, す、此時讚山の坊主達の威勢、中々違背こも及ましき體なれは、無是非泰高も出陣也、, 野々市の大乘寺に陣を取、泰高と一所に成、, 讚山と云は、越前こも讚門徒ト號, する大坊あり、今云巡讚院家類か, 等高尾城, 入ル, 家元同泰行, 富樫家信同, 長享二年六月九日, 一八一

割注

  • 讚山と云は、越前こも讚門徒ト號
  • する大坊あり、今云巡讚院家類か

頭注

  • 等高尾城
  • 入ル
  • 家元同泰行
  • 富樫家信同

  • 長享二年六月九日

ノンブル

  • 一八一

注記 (23)

  • 344,636,58,274大坊主衆は
  • 1624,642,63,2243る、是ゟ國中の土民恐怖して、爰彼へ會合し、兎角屋形へ御侘申には如しと、家老の山川
  • 1393,640,61,2249方へ訴、兩國へ加勢之義も有之事なれは、一國の本願寺派を僧俗ともに攻絶さんと、兼
  • 925,634,62,2251是等寄合評議の上、富樫介泰高江使者を遣し、今度政親殿の働キ、一國の土民を不殘殺
  • 808,637,62,2219し盡さんとの結搆と見へたり、然らは唇落て齒寒キ道理なれは、我々も出陣に及ふ也、
  • 1273,635,64,2248而思ひ計ける故、中々承引なし、是非なく土民共會合し、洲崎和泉入道慶覺・河合藤左
  • 574,658,63,2218一所に出陣有へきや、若亦高尾の城へ一所に御籠り可被成心中こ候哉、承度と申遣は
  • 1743,638,60,2246各手勢を具して籠城ある、泰高一人は兼々政親とは不快の間ゆへ、今度籠城はせさりけ
  • 1040,635,62,2224坊主達と申は、木越光徳寺・磯部正安寺・鳥越弘願寺・若松の道場・山田光教寺等也、
  • 692,638,62,2218貴殿當國の守護たれは、罪なき百姓を皆ころしになして、しらぬ顏も成ましけれは、
  • 1159,638,60,2248衞門尉定久兩人を大將として、加賀四郡の百姓手分してそ相寄ける、爰に加別讚山の大
  • 1508,637,61,2249參河守に付て、向後屋形樣へ對し意背仕間敷候旨、念頃に歎訴しけれ共、政親今度將軍
  • 1861,642,59,2240國中の一揆多キ中にも、押野ノ富樫家信・久安ノ富樫家元・山代の富樫泰行、此三家者
  • 457,641,62,2212す、此時讚山の坊主達の威勢、中々違背こも及ましき體なれは、無是非泰高も出陣也、
  • 338,1639,61,1216野々市の大乘寺に陣を取、泰高と一所に成、
  • 370,959,47,672讚山と云は、越前こも讚門徒ト號
  • 325,968,47,644する大坊あり、今云巡讚院家類か
  • 1768,267,44,182等高尾城
  • 1722,268,42,77入ル
  • 1814,268,42,215家元同泰行
  • 1860,264,43,218富樫家信同
  • 221,747,44,348長享二年六月九日
  • 218,2421,43,95一八一

類似アイテム