『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.613

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の本望なりと思ひ切て踏しつめ、一戰尤なりと下知する、其ふり見事な, り、其時其仁の假名を聞しが忘たりと、淡輪新兵衞物かたりなり、惣して, 江の潮の罷出候〓くなれは、皆々足を立兼見苦しかりし、御宿越前、眞田, て自身太刀打粉骨を仕たれとも、其場を退來り、米田監物、御宿越前、上條, 極め候へは、別儀無之候、皆々覺語の前なり、殊ニ相手は將軍なれは、武十, を衡陣に立る、岡山の北に二ノ宮與三右衞門、御宿越前、其次主馬旗本なり、, 門を岡部大學仕方あしく討死させ、味方の大利を失ひ、尤其身も樫井に, 施傳右衞門か家老某、石疊の大四半差たる物主罷出、中〳〵爰を墓所と, 此口將軍の寄させ給請手如斯、, 主馬組二万の勢、其物主皆主馬に不和なり、其子細は、樫井にて塙團右衞, と軍評定のため茶臼山に在之しが乘返し、右の通下知しいさめしに、布, の惣〓炮の左へ並へ、主馬か旗本乃先隊を張出し池を前ニあて、根來三拾, 騎一隊、其左は岡田縫殿、布施傳右衞門、岡部大學、新宮左馬介、中瀬掃部六隊, 私云、此時布施傳右衞門、岡田縫殿、何の備も寄手の猛勢諸隊並進、其勢漸, を右へくり越、新宮左馬介備を左手にして兩先手に立る、大野修理か先手, 元和元年五月七日, ト其部將, トノ不和, 大野治房, 六一三

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