『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.182

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と兩人馬上に引組て、廓内にある所ノ深キ池へころひ落て、兩人共水底に死したり、此, 中の者共、一時攻にと揉立しかは、越中・能州の加勢を待テとも便なく、宗徒とたのみ, て、俄に門を開キ打て出けるか、一揆付入にして戰ヒける、終と政親は、水卷新介忠家, 山王の森に陣取りて、本陣ゟの指圖を相待所に、六月五日、諸方の一揆申合せて、高尾, は、寄手始は知さりけるか、河合藤左衞門此事を蜜に聞出し、究竟の若者共六百餘り、, 寺え使者を以頼み遣し、其身は高尾の傍成嶽の城え取籠ける、, 出らるゝ時、彼城にて辭世の一首を殘ス、, の城を惣攻にする、白山の衆徒も一揆に荷擔し、百姓原貳千人計引連て出ける、如此國, 時宗徒家來白崎民部・高尾若狹・同九郎右衞門・額八郎次郎・槻橋入道・内藏太・宇佐, 慶覺坊を大將として、倉ケ嶽の搦手より押上ケ、無二無三に攻懸る、城中不意を討れ, 揆の後見とそ聞へたり、河北の者共は、淺野・大衆免に陣取、石川濱手の百姓は、廣岡, 美八郎左衞門・山川監物・同小次郎等討死して、嶽の城は落にけり、政親始メ高尾城を, し士共多く討死し、或は落行ける故、政親妻子は、越中の方へ遣し度旨、光徳寺・正安, て暫ク兩國の加勢を見合さんと、一族郎等貳百騎をすくつて、夜の中に出入をなしけれ, 此所にし, 詰城、要害不雙也、, 倉ケ嶽とて高尾ノ, 政親嶽ノ城, ニ移ルトノ, 説, 水死ストノ, 説, 長享二年六月九日, 一八, 一八二

割注

  • 詰城、要害不雙也、
  • 倉ケ嶽とて高尾ノ

頭注

  • 政親嶽ノ城
  • ニ移ルトノ
  • 水死ストノ

  • 長享二年六月九日

ノンブル

  • 一八
  • 一八二

注記 (25)

  • 573,654,68,2244と兩人馬上に引組て、廓内にある所ノ深キ池へころひ落て、兩人共水底に死したり、此
  • 1390,643,72,2242中の者共、一時攻にと揉立しかは、越中・能州の加勢を待テとも便なく、宗徒とたのみ
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  • 1156,647,68,1601寺え使者を以頼み遣し、其身は高尾の傍成嶽の城え取籠ける、
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