『大日本史料』 2編 17 治安元年4月~雑載 p.167

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なる鬼の手をさし延てつかみし處を切たりとも申されり、實にて侍りけん、誠はしら, 式部ノ内侍ノ歌ニ、大江山幾野の道ハ遠けれとハ、丹波・丹后ノ兩國、昔ハ大江氏ノ, す、又蜘蛛切と申侍るは、紀伊國名草郡に大なる森有り、彼所に全身鐵にて廣大の蜘, 舊領成ニ依ル、是兩國ノ山ノ惣名也、又大枝坂ハ山城ト丹波ノ境ニ有リ、大江ノ千甲, リテ洞穴有、鬼カ崖ト傳云、此峯ヲ千丈嶽ト云、俗言ニ大江山ト云習ハセタルハ、小, いふ事なし、地をはしる獸を又悉くとり食けり、剩其後は、近里往復の村民旅客を取, 蛛あり、家をはる事本空にみちたり、故に空を飛つはさ、かしこに至りてかゝらすと, 達しけれは、諸卿僉議あて、彼を退治すへき其器をえらはれけるに、渡邊綱也源五勅, をかうふり、彼蜘蛛を切平けしにより、かく名付ける共申、或又、頼光或時發病せら, 食事、數を知らす、されは村南・村北の貴賤悲しみ哭する者やむ事なし、此事天聽に, れしに、種々治術も叶はす、時による〳〵大なる蜘蛛寢所に來ると思はれけれは、此, 故に鬼切といふともいへり、又、綱九條朱雀羅城門の下を通りし時、樓門の上より大, 〔丹後舊事記〕, 病しきりけり、其蜘蛛を件の太刀にて切られける故とも申ス、, 干丈嶽宮津城下より二里餘、普甲山ノ嶺ヲ過テ二瀬川有、此所ヲ右ノ方へ一里程登, 古跡ノ部, 下, 來ノ諸説, 蜘蛛切ノ由, 千丈嶽, 鬼カ崖, 治安元年七月十九日, 一六七

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  • 古跡ノ部

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  • 來ノ諸説
  • 蜘蛛切ノ由
  • 千丈嶽
  • 鬼カ崖

  • 治安元年七月十九日

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  • 一六七

注記 (23)

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