『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.127

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

に御陣有て、翌立日小濱へ御歸りなり、, 向て安達太郎大明神を拜しけるに、嶽山より黒雲五六尺もあらんか舞飛來て城の上に, 上三ケ所なり、是をだに堅固に持候得ば中〳〵落申事無之と、いつれも相談申ける、, し候如く、切峰屏風を立たる如く、其山の嶺に栗木を堀立棚を振り、其外は深き谷な, り、所々に櫓を上、鐵砲に弓を交え、敵の寄來るを目の下に引受居候なり、虎口は以, 、畠山の御家に代々の御旗有り、是を披キ候得は、俗説には火の雨敵陣に降と申傳けり、, て廣くなり、其日は天晴なりしか、俄に大雪目も明兼候程に降申候、不思議奇妙とも, 兼申故、宿老衆被申上けるには、近日能日を御撰ひ御攻然へきよしにて、其夜は高田, 歳、御二男, 此御旗を持に垢離を七度かゝせて、則本丸に御旗杉とて大木有、是に立て諸人嶽山に, 栗ケ棚といふ二本松の城外の要害の城まて御寄候所に、餘りの大雪にて諸軍勞れ働成, 城中の上下感しなり、悦申事限なし、此日正宗も高田の渡りを御越へ、先手の人數を, 後九郎義綱と申て、後年佐竹にて御生害と承る、扨此儀要害の地にて四方八帶を引廻, 彈正・同大和・大槻備前・岩角伊勢を初として、義繼の御惣領國王丸と申て御年十一二, 八歳に成給ふを大將として、城の要害を構へける、此國王丸御成長之, 義孝, 右京, 畠山家傳來, ノ旗ノ威力, 天正十三年十月八日, 一二七

割注

  • 義孝
  • 右京

頭注

  • 畠山家傳來
  • ノ旗ノ威力

  • 天正十三年十月八日

ノンブル

  • 一二七

注記 (21)

  • 288,705,58,935に御陣有て、翌立日小濱へ御歸りなり、
  • 905,701,70,2187向て安達太郎大明神を拜しけるに、嶽山より黒雲五六尺もあらんか舞飛來て城の上に
  • 1285,700,68,2167上三ケ所なり、是をだに堅固に持候得ば中〳〵落申事無之と、いつれも相談申ける、
  • 1532,711,75,2189し候如く、切峰屏風を立たる如く、其山の嶺に栗木を堀立棚を振り、其外は深き谷な
  • 1409,707,70,2187り、所々に櫓を上、鐵砲に弓を交え、敵の寄來るを目の下に引受居候なり、虎口は以
  • 1158,665,69,2250、畠山の御家に代々の御旗有り、是を披キ候得は、俗説には火の雨敵陣に降と申傳けり、
  • 780,704,69,2187て廣くなり、其日は天晴なりしか、俄に大雪目も明兼候程に降申候、不思議奇妙とも
  • 404,697,68,2195兼申故、宿老衆被申上けるには、近日能日を御撰ひ御攻然へきよしにて、其夜は高田
  • 1804,701,54,283歳、御二男
  • 1030,699,72,2190此御旗を持に垢離を七度かゝせて、則本丸に御旗杉とて大木有、是に立て諸人嶽山に
  • 527,700,71,2196栗ケ棚といふ二本松の城外の要害の城まて御寄候所に、餘りの大雪にて諸軍勞れ働成
  • 654,696,69,2196城中の上下感しなり、悦申事限なし、此日正宗も高田の渡りを御越へ、先手の人數を
  • 1658,698,75,2201後九郎義綱と申て、後年佐竹にて御生害と承る、扨此儀要害の地にて四方八帶を引廻
  • 1910,703,75,2188彈正・同大和・大槻備前・岩角伊勢を初として、義繼の御惣領國王丸と申て御年十一二
  • 1785,1108,72,1787八歳に成給ふを大將として、城の要害を構へける、此國王丸御成長之
  • 1785,990,44,84義孝
  • 1833,992,42,82右京
  • 1221,290,41,218畠山家傳來
  • 1174,297,44,212ノ旗ノ威力
  • 186,770,44,389天正十三年十月八日
  • 173,2460,47,116一二七

類似アイテム