『大日本史料』 9編 13 大永元年5月-大永元年12月 p.272

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おくりける、, 迚も君臣一和せん事叶かたし、災の身に及はさる以前に常印をは失ふにしかしと思ひ、, 常印入道を〓して早く出けれは、三人とも事故なく三石へ歸りける、是によりて小鹽亦, とより己か領地とし、其始松田と備前を爭ひけれとも、浦上か勢ひ追日強く成しかは、, 印のもとへ遣し、内談の事有とて近習の人を拂ひ、密談に及ふふりをして、たちまち, あしらひけれは、常印をはしめ赤松の舊臣とも掃部介を惡む事甚し、村宗是を傳へ聞て、, 伊豆孫次郎等、幼主才松丸を守護して小鹽を落ち、小舟に取乘り、淡路に落行ける、浦, 強大にして、主人常印入道をもものゝかすともせす、老臣以下の面々をは臣下の如くに, 其身は三石に歸りて後に、浦上か臣岩井小源次・花房・菅野三人を九月十七日の夜、常, 松田は尼子か旗本となり、又備後の山名を頼みて西備前の地を奪れさる計略のみにて、, 上村宗は己か思ふまゝに其跡を治め、播州も西半國を取治め、備前も吉井川より東はも, 浦上と戰ふ事もなかりける、かくて常印をは書寫山に葬りて、祥光院了堂性因と法號を, 大きに騒き出て居城なりかたし、浦上因幡守村國・完栗作十郎範高・小寺藤兵衞職隆・, 一説に常印を〓せしは播州室津にての事といふ、此時常印廿八歳と註せしものあれレ, 浦上村國等, 才松丸ヲ守, 義村ヲ書寫, ノ説, ニ奔ル, 護シテ淡路, 山二葬ルト, 大永元年九月十七日, 二七二

頭注

  • 浦上村國等
  • 才松丸ヲ守
  • 義村ヲ書寫
  • ノ説
  • ニ奔ル
  • 護シテ淡路
  • 山二葬ルト

  • 大永元年九月十七日

ノンブル

  • 二七二

注記 (23)

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  • 1517,617,67,2201迚も君臣一和せん事叶かたし、災の身に及はさる以前に常印をは失ふにしかしと思ひ、
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