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雪齋斯ヲ存知、烏山先可被責曰、三家之武略未練之次第也、, 烏山へ寄んとて、中川を越るに、小田・宇都宮は喜連川・五月女坂に陣をとり、那須の, 籠城の殘兵とも一戰にも不及、城に火をかけ落行ぬ、常隆・義永門出よしと歡ひ、直に, 東ニ無陰謀臣、文武ニ得心者也、從上古以來、大事ヲ閣小事懸勝利スル者一人モ不聞、, 爲に、烏山の城を守る、資房は五百餘騎を相倶し、小田・宇都宮を支ん爲に上川井出雲, 言以令成退散、况強敵名將大勢楯籠タル山城、責落申事一年二年不存寄、爰元明除申、, か館を出城に調ひ移らる、岩城・白川はまつ山田城へ推寄、関の聲を揚けれとも烏山へ, 斐、三家之大將ニ奉對、雪齋是程ノ小堀内、覃十日不得落、結句者頭一人被討取、巧口, 宇都宮貳千餘騎を率ひ、同三日出陣す、政資上の庄の軍勢七百餘騎、岩城・白川を支ん, 兵上川井に籠城して待よし傳聞、岩城・白川の兩將へ告たりけれは、兩將も喜連川へ赴, 有御手持、御皈陣可然、當道摧理諫依申、翌日早天三家各開陣、徳雪齋雖身不屑、關, 嫡子貞隆, 餘騎を催し、比は大永元年十一月朔日、野州那須へ推寄る、兼て牒し合せたりけれは小田・, を始として壹千餘騎、白河義永三百, 〔白川故事考〕, 上岩城常隆は山田の戰に味かた若干討れけるを憤り、, 〔白川故事考〕〓城歴世事實下〓仕岩城常隆は山田の戰に味かた若干討れけるを憤り、, 貞隆ハ後の常隆の子、實ハ佐竹義重三男也、是又謬なる, へし、大永の比、岩城左京大夫重隆代なり、考見るへし、, 結城歴世事實下, ○上, 略, 白川義永寄, 陷ル, 手ニ加ハル, 山田城先ヅ, 大永元年十一月四日, 三三〇
割注
- 貞隆ハ後の常隆の子、實ハ佐竹義重三男也、是又謬なる
- へし、大永の比、岩城左京大夫重隆代なり、考見るへし、
- 結城歴世事實下
- ○上
- 略
頭注
- 白川義永寄
- 陷ル
- 手ニ加ハル
- 山田城先ヅ
柱
- 大永元年十一月四日
ノンブル
- 三三〇
注記 (28)
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