『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.189

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上せられ、景綱等と共に御軍法評定時を移す、此節御先鋒は景綱に仰付られ、二の手は, 隆・石川殿昭光・白川殿義親、, たまひ、安積表御當家奉公の者の城々へ相働かれ、中村城を責取ると云々、公聞召たま, かり也、公景綱に相議したまひて、御對陣の御人數割御備立御評定ありて、岩角城へ御, 馬を出され、安積郡高倉城には桑折治部宗長・富塚近江某・伊藤肥前重信に、御旗本の, 人數都合三萬許を率ひて須賀川へ出馬し, ひて、御馬を出さるへしとのたまひて、御人數を催さる、此時馳集る者、纔に七八千は, 兼て二本松の押として八町目抱の地澁川城に籠置たまふ處に、公の仰によつて岩角へ參, 十日比、安積表より公へ注進す、其趣、佐竹殿義重・葦名殿龜王丸名代某・岩城殿常, 鐵炮三百挺差添へ籠置かれ、同郡本宮城には瀬上中務景康・中嶋伊勢宗求・濱田伊豆景, 天正十三年十一月, 隆・櫻田右兵衞元親、同郡玉井城には白石右衞門宗實を籠置かる、伊達藤五郎殿成實は、, 〔片倉代々記譜録〕, モ働難計由御意ニテ、岩津野ニ兩日被成御座候ヘトモ何事ナク候間、小濱へ御歸馬被, 打指候ヲ御覽被成、御加増可被成候由御意ニテ、鹽ノ松ニテ知行被下候、若又此上ニ, 成御越年候、, 或は須賀川殿輝隆・, 相馬殿義胤を加ふ、, ○磐城, 一景綱, 達軍ノ先鋒, 片倉景綱伊, トナル, 天正十三年十一月十七日, 一八九

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  • 或は須賀川殿輝隆・
  • 相馬殿義胤を加ふ、
  • ○磐城
  • 一景綱

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  • 達軍ノ先鋒
  • 片倉景綱伊
  • トナル

  • 天正十三年十一月十七日

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  • 一八九

注記 (25)

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