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も不戰して打揚玉ひ、御陣を少移寄らる、, は、小濱は其日落城なり、夫より公築館に逗留し給ふ也、, 因て、不戰して軍を揚玉ひ、御陣を少移し寄玉ふ、, 堅固にして動かさる故に、南の方通路を取切らせ給ひ然へきと、成實とはかりて、其日, 主水援兵を招き、荒井半内・石川勘解由等に人數を副て小手森に置と云々、, 除くへきとの仰なり、此事再往に及て仰を不肯に因て、公惣勢へ御下知有て攻させ玉へ, 攻玉ふ術の爲に、南一方を明、三方よりつるへ鐵炮を打懸させ、城中の樣子を見玉ふ哉, 廿七日、成實南の通路を取切備らるゝところに、城兵より成實方へ城を明て小濱へのき, 廿六日、又小手森へ働せらるゝ、景綱御前に參り慮を申上るは、城中の虚實を伺ひて後, たき由をいゝ遣す、成實此よしを言上せらる、公の仰には小濱へは叶まし、伊達の方へ, 多し、公乃五里ほと引揚玉ひて、野陣に宿し給ふ、大内は其夜小濱に歸る、會津の小野, 廿五日、小手森へ推詰働玉へとも、城中又不出合、援兵も長岫といふ所に備て不打出に, と言上するに因て、公是を尤と仰られ、八百餘鐵炮を内の除垣へ撃懸させ玉へは、城中, 援兵ともに敗北し、城の二の搆まて追入たり、敵小口へ不入得して、南方へ逃走るもの, ○片倉代々記, 異事ナシ, 軍略, 片倉景綱ノ, 天正十三年閏八月二十七日, 四五
割注
- ○片倉代々記
- 異事ナシ
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- 軍略
- 片倉景綱ノ
柱
- 天正十三年閏八月二十七日
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- 四五
注記 (20)
- 799,718,60,1054も不戰して打揚玉ひ、御陣を少移寄らる、
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