『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.736

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河守隆房といひし也、當時宇都宮か城とは、ツつくなりけん、太平記にも、宇, き、いかにも心えつたき事ならすや、されはおもふに、詫摩は石垣山合戰之, ふへき事なるを、餘所の事にてもありしやうに、少貳か詫摩に下知したる, し、もししからんには、此時武重は重て筑後に打入らんと、玉名郡にかゝり, 摩か在所よりは、白河をへたてたる計に之、其間いとちかけれは、詫摩もし, か所領の事にはあらされとも、兄の公景か所領の沙汰文の中に、木葉村見, 抔ありて、國府合戰は留守の間の事なれは、少貳よりかくは下知したるに, 都宮三河守か城と計ありて、地名をいはす、玉名の木葉に、隆房の靈を祀り, て、まつ宇都宮か木葉の城に籠りしか、または大野の小代を攻んとて、玉名, て、宇都宮といふ社あり、その西北のかたに、城跡ものこりたるうへに、隆房, えたれは、はやくより隆房其處を知行して、城をのまへ之おたりしなるへ, 後直くに肥後へは引かすして、博多の警固か、または道猷入道に訴訟の事, 在所に歸りてゐたらんには、守護代と一つになりて、のならす合戰には逢, てありしなるへし、宇都宮大和太郎は、前に見えたる因幡前司公景か兄、大, 和守頼房か二男なりし故、大和太郎と名のりたるにて、後には受領して三, 和太郎二, 宇都宮大, ツキテノ, ニツキテ, 宇都宮城, 考, ノ考, 南朝延元三年北朝暦應元年三月三日, 七三六

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  • 和太郎二
  • 宇都宮大
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  • 宇都宮城
  • ノ考

  • 南朝延元三年北朝暦應元年三月三日

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  • 七三六

注記 (24)

  • 896,635,71,2220河守隆房といひし也、當時宇都宮か城とは、ツつくなりけん、太平記にも、宇
  • 1483,635,64,2216き、いかにも心えつたき事ならすや、されはおもふに、詫摩は石垣山合戰之
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  • 1832,629,67,2214摩か在所よりは、白河をへたてたる計に之、其間いとちかけれは、詫摩もし
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