『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.470

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十一年十, ども、實にかれに與するにあらはるのむ〓、その始末を蜜に東照宮に告, たてまつりて、その罪を謝し申せしかは、御許容あり、こゝにをいて、御諚, をこめらるゝ、, ものあり、泰顯こまにくみせしかは、時成も止ことを得す同意すといへ, 時成, 根利重等を加勢に下はる、ときに敵しは〳〵〓を入て、和議をすゝむお, のむ手を泰顯に語るのところ、時成ひとり言上せしことをいかり、〓か, 甲州、主從數輩ニテ、逃テ欲行白須賀邊、士卒逐跡、於前坂討取, 一家康公普濟寺ニ御陣ヲ成シ玉フ、少留此所置國政、, 城兵失利落城ナリ、此敗三州有軍功士數多有之、定〓亦成, 功云々、白須賀ノ城代垣塚右衞門者飯尾三老ノ内也。此節在濱松城、有志, 二月、氏眞また兵を出して、濱松をせむるのときも、本多信俊、渡邊守綱、中, 〓寛政重修諸家譜〕, 頓而、濱松の城攻落し、酒井左衞門尉, 今川家の臣飯尾豐前守致實に仕へ、, 江馬, 〓松平記〕, 永祿十一年十二月十八日, ○中略、永祿八年、致實、氏眞, 千三百, )上略、家康、井伊谷二, 附紀頼宣卿、于, 彌三、加, 四十三, ニ殺サルヽコトニカヽ〓, 入ルコトニカヽル、, 今雲裔有之、, 賀守、, (伊服カ), 永祿十一年十二月十八日, 寺ニ陣ス, トノ説, 家康普濟, 四七〇

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  • ○中略、永祿八年、致實、氏眞
  • 千三百
  • )上略、家康、井伊谷二
  • 附紀頼宣卿、于
  • 彌三、加
  • 四十三
  • ニ殺サルヽコトニカヽ〓
  • 入ルコトニカヽル、
  • 今雲裔有之、
  • 賀守、
  • (伊服カ)
  • 永祿十一年十二月十八日

頭注

  • 寺ニ陣ス
  • トノ説
  • 家康普濟

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  • 四七〇

注記 (35)

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