『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.571

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正祀として、神輿を奉り、十四里坤の方、高岡郡浦の内の入海に促し、船中に, 寄せたる故とかや、されとも星霜おし移り、雲霞〓に古びて、しかも近年國, て祭儀あり、是を御船遊と言、依て御船大明神共申也、御神を土佐國へ移し, 礫石とて今にあり、浦の内へ御船遊ひも、此故とそ聞へし、天平寶字三年丁, 投給へは、十餘里を經て、今の一宮に落止りしかは、此地に宮を建られけな, りしに、或時御神躰顯はれさせ給ひ、此所は我か心に叶はす、あたりなる石, し、神輿を促しける、はしめて浦の内より一宮へ移り給ふ時、此所へ御船を, の麓へ、狼數百群り出て、神人を喰しかは、神慮に叶はをりけるよと、此事止, 寄られ、一年に七十五度の祭禮をなす、正月中五日に射禮あり、七月初三日, 參らせたる時、御船を浦の内へ寄、則其所に宮を建て、加茂と號して崇め奉, 亥、例の如く祭禮をなす所に、吾川郡長濱の沖にて、俄に難風吹て、御船を覆, を取て、此石の落止りたる處に宮を建、我を祭るへしとて、良の方に向ひて, さんとする間、名村か汀に御船を寄て、磯傳ひに御輿を廻らす所に、赤木山, みて、其後一宮より一里南の方、長岡郡五菅山の西麓に祠を建、小一宮と稱, 僧、鍋島、國實、社人とて、神職六段にして七十五人あり、七百五十町の社領を, 社領ト祭, 禮, 永祿十一年是歳, 五七一

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  • 社領ト祭

  • 永祿十一年是歳

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  • 五七一

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