『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 3 p.29

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酉の冬此島へ南京船漂着したる次、此寺にやどをしけるに、乘組の唐人七十一人にてそ, ころ、後高倉宮の御筆にて八郎明神とあそばしける神號を金銅に彫付、又神影を鑄て甲, 陀寺といひしか、津波に破却せしより、永享の比端翁宗的といふ僧大賀郷の地内大里原, に移、その以前六世といへとも、僧の名・開基の元祖もつまひらかならす、六世の上に, の破船の古木を以て門を建立しける、其門の記およひ其圖をのす、記の末に、皆大清乾, 喜多の末葉、島の産也といへり、次に小島、此島に八郎明神の社あり、源頼朝卿治世の, 曁通船人衆同立としるせり、またこの島上古に遠流の人ありし事聞えす、慶長の比宇喜, 多の一統を配せられしより以來の罪人、今在島の人數百五十人餘、此内四十人ほとは宇, て島の長たり、此宮に仕へたるもの太夫と唱へ、神主やうのものあり、宮と太夫と主從, 八郎爲朝を祭り、今も寺に傳へて祭祀するよし、此六世の内は入道宮と唱へ、諸事を〓, 隆十九年歳次甲戌四月建造山門云云、江南雲門程劍南、浙江苫溪高山輝、福建榕城董昌仁、, のを康正二年島へさし向あり、宮雲加入道か子若宮并太夫を殺、雲加力およはす降參し, て島を神奈川へ渡し、名を端翁宗的と改しよしを記、又長樂寺といふ寺あり、寶暦三癸, にて島を一圓に押領してありしを、武州加奈川領主奥山氏の家來作右衞門太郎といふも, にも農業を教へ、此島に功ある事をのす、宗福寺いにしへは西山の麓にありて香爐山彌, 八郎明神, 小島, 長樂寺, 別紀第七(伊豆), 二九

頭注

  • 八郎明神
  • 小島
  • 長樂寺

  • 別紀第七(伊豆)

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  • 二九

注記 (20)

  • 1007,779,57,2251酉の冬此島へ南京船漂着したる次、此寺にやどをしけるに、乘組の唐人七十一人にてそ
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