『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.622

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せしか否か知らず、何となれば、三年來尊師又は印度のパードレ何人より, 又聽聞せる者の中キリシタンとなりたる者あり、先月即ち九月二十八日、, も、書翰を受け取りたることなければなり、此事は、ポルトガル人又はパー, に於て納めたる收穫、竝に國の状勢を詳細に通信せしが、悉く貴地に到達, 予は三好殿家中の高貴なる武士一人に洗禮を授けたり、彼はマニケオの, の主、此事其他一切の事に依り、予をして盆を得させ給はんことを、予は坊, 宗派禪宗の徒なるが故に、キリシタンとなる前數日間聽聞せり、彼は昨日、, の町に滯在せしが、デウスの御慈悲に依り、聽衆の來る者絶ゆることなく、, 著せしことの報知を得たるのみなり、此事は、法王が、司教の健康の爲め、エ, チオピヤ行を更めて、日本支那兩國に派遣するを宜しと認められたるに, 依れり、都地方のキリシタン等、竝に予が此報を得て喜悦滿足せしことは、, 尊師推察し給ふべし、予は印度出發以來、毎年尊師に長き書翰を送り、當地, ドレを見ざること六年に及べる者に取りては、少からざる失望なり、義等, 主等の勸に依りて、都より追はれたる後、今日に至るまで約六年、常に當堺, 十五六歳の一子を當所に遣し、又二三日後當所に在る予が通譯を招き、其, 京都ヲ逐, ふろいす, ふろい〓, 便, 六年間堺, ニ滯在ス, 洗禮, 通信ノ不, ハル, 永祿十一年是歳, 六二二

頭注

  • 京都ヲ逐
  • ふろいす
  • ふろい〓
  • 便
  • 六年間堺
  • ニ滯在ス
  • 洗禮
  • 通信ノ不
  • ハル

  • 永祿十一年是歳

ノンブル

  • 六二二

注記 (26)

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