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之御紋松菱也と云々、幽齋公の御代迄右の御紋也、或人云、足利將軍より, 大永七年正月廿日細川右京大夫晴元、三好筑前入道奇雲を先驅として、, 經て、桂川に打望ト有之、三好は小笠原の黨にて、家の紋三蓋菱也と云ふ、, 淀の築山の家に松笠菱を拜領、已來今こつけ來候、圖は右に出す通りと, 銕線を、山本三郎右衞門正倶と被下、定紋ニ仕候と有、又一書御家の御紋, 拜領と有、九曜は信長より、藤孝君御拜領なと云説皆非なり、或説こ、梅松, 御進發有、同十五日、備前國小島に著給ふ、當所は佐々木の一族の所領な, 申傳候由、又一書ニ、細川家の御紋は、松菱也、足利將軍家の時、管領細川黨, 幽齋公桐之御紋御拜領の後、御紋改まり候か、後太平記こは松笠菱と有、, 阿波、讚岐、土佐の勢貳萬餘騎を率し、松笠菱の白旗五流、山崎より西郊を, 論云、延元元年五月十日、尊氏公御兄弟は、備後の國を立て、海路陸路同日, 舊記ニ一ツの御紋は、笹と有之、其後松笠菱をも御紋所と御付被成候由、, 右説こ重而考へし、又桐引兩は、義輝公より御拜領、或は信長と一同と御, 考こ、山本か家記ニ、忠興君九曜の御紋御付被成候以後、夫迄之御紋六ツ, る間、加治筑前守〓近く假御所を作り、御風呂なと立御休息有しに、其夜, 永祿十二年正月五日, 六ツ銕線, 松菱, 笹, 永祿十二年正月五日, 七五二
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- 六ツ銕線
- 松菱
- 笹
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- 永祿十二年正月五日
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- 七五二
注記 (21)
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