『大日本史料』 12編 11 慶長十八年三月~同年九月 p.163

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の御番也、其外親類ニも、御番の人數多故、彼者共に申聞せ、家康公出御の刻、, 樂也と云々、武田〓投と申は、信玄公二男レウホウ殿と申せし人也、家康公, と、さかし被求けるに、石見守寵愛の妾申、別に何そ不審成物なし、秘藏のは, 兄弟親類、駿州阿部川ニ而火あふりに被成、〓校最期は、我盲目なれはこそ、, 菱の紋を付て、叛逆を企、長子の藤十郎、其外の子共餘多、駿府御城□]□]□爰, 也と思ひて、武田の紋を許した〓と云々、其後、右之陰謀に同心の人も有む, 家康今迄は存命へ給ふ、さなくき、今迄安穩に有ましと、石見守謀反の企幸, 指殺し奉らむと相擬して、時節を待最中に、石見守病死す、其比金山私欲沙, り枕一ツ有、何くに被參候時も、我に是を被預被秘藏しと云々、其枕を破て, 意の人多く、是に依て相模守御戌敗と云々、此石見守本國泉〓の境邊の猿, り、是も不審して、尋さくられたれき、右叛逆の企露顯す、仍而大久保藤十郎, 汰決定して、石見守遺跡を〓〓をせらるゝニ、右のわり菱付たる旗幕出た, をゆるすへし、其方本意を遂は、目出度事也とて、紋をゆるさる、即旗幕ニ割, 見るに、隱謀の事書たる物多き中に、大坂、安房の里見、大久保相模守、其外同, 中州兩國を治候ニ、手間取申間鋪候と申、〓〓聞て、安き程の事也、武田の紋, 祕藏ノ張, 家康ヲ刺, サントス, 枕, 慶長十八年四月二十五日, 一六三

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  • 祕藏ノ張
  • 家康ヲ刺
  • サントス

  • 慶長十八年四月二十五日

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  • 一六三

注記 (21)

  • 1592,666,68,2217の御番也、其外親類ニも、御番の人數多故、彼者共に申聞せ、家康公出御の刻、
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