Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
屯シ、北條ハ薩〓ノ山上ニ旗ヲ立テ互ニ對陣ス, と被仰出候に付、武田の諸勢此酒を飮かちに仕り候、信玄公各此酒をと, 人數にて、興津河原へうち出、北條氏康父子四萬乃人數と、信玄公一萬八千, ヨリ興津河原ニ出張ス、北條カ先鋒松田尾張守、川ヲ越テ備フ、武田カ先陣, をわかし、信玄公もひとつ聞食、御家中大身小身上下共に此酒を振廻被成, 寒き嵐に陣をはりかたし、信玄公御中間かしら衆に被仰付、駿府乃酒をか, 餘の勢にて御對陣あり。正月中旬末の事なまは、濱顧いたく吹、敵味方共に, 千五百の一備を山西をさへ乃ために駿府に殘しをき、一萬八千あまりの, 千の人數をもつて、氏眞を駿河へ本意乃ために出陣ありて、先衆は薩〓山, 候て、籠に入をおなされ候、信玄公、氏康の後詰をきこしめし、山縣三郎兵衞, ひ、陣衆の道作り千人にもたせ、興津へ取よせ在之、釜幾口もあはめ、今の酒, 八幡たいら、由井、蒲原迄取つゝき候、信玄公御使甫庵をは、伊豆の北條へ越, 跡部大炊助、二陣内藤修理亮、松田ニ懸負テ引退ク、其後武田ハ興津河原ニ, 岸セス、已ニ夜明テ謀相違ス、同廿六日、陸勢薩〓山ノ峠へ押ヨス、信玄久能, 〔甲陽軍鑑〕, 同正月十八日に、小田原北條氏康、子息氏政其勢四萬五, ○下, 十一, 之上, 略, 信玄山縣, 昌景ヲシ, 守ラシム, テ駿府ヲ, 永祿十二年正月二十六日, 八八五
割注
- ○下
- 十一
- 之上
- 略
頭注
- 信玄山縣
- 昌景ヲシ
- 守ラシム
- テ駿府ヲ
柱
- 永祿十二年正月二十六日
ノンブル
- 八八五
注記 (26)
- 1580,693,59,1420屯シ、北條ハ薩〓ノ山上ニ旗ヲ立テ互ニ對陣ス
- 306,691,58,2198と被仰出候に付、武田の諸勢此酒を飮かちに仕り候、信玄公各此酒をと
- 881,690,58,2198人數にて、興津河原へうち出、北條氏康父子四萬乃人數と、信玄公一萬八千
- 1811,705,62,2189ヨリ興津河原ニ出張ス、北條カ先鋒松田尾張守、川ヲ越テ備フ、武田カ先陣
- 424,694,60,2197をわかし、信玄公もひとつ聞食、御家中大身小身上下共に此酒を振廻被成
- 654,691,59,2195寒き嵐に陣をはりかたし、信玄公御中間かしら衆に被仰付、駿府乃酒をか
- 767,685,59,2198餘の勢にて御對陣あり。正月中旬末の事なまは、濱顧いたく吹、敵味方共に
- 996,689,57,2199千五百の一備を山西をさへ乃ために駿府に殘しをき、一萬八千あまりの
- 1345,689,61,2207千の人數をもつて、氏眞を駿河へ本意乃ために出陣ありて、先衆は薩〓山
- 1110,693,58,2199候て、籠に入をおなされ候、信玄公、氏康の後詰をきこしめし、山縣三郎兵衞
- 542,694,58,2200ひ、陣衆の道作り千人にもたせ、興津へ取よせ在之、釜幾口もあはめ、今の酒
- 1225,688,61,2209八幡たいら、由井、蒲原迄取つゝき候、信玄公御使甫庵をは、伊豆の北條へ越
- 1695,688,62,2189跡部大炊助、二陣内藤修理亮、松田ニ懸負テ引退ク、其後武田ハ興津河原ニ
- 1928,690,61,2201岸セス、已ニ夜明テ謀相違ス、同廿六日、陸勢薩〓山ノ峠へ押ヨス、信玄久能
- 1442,643,89,347〔甲陽軍鑑〕
- 1456,1255,59,1635同正月十八日に、小田原北條氏康、子息氏政其勢四萬五
- 1609,2130,41,114○下
- 1488,1052,42,100十一
- 1442,1051,44,113之上
- 1566,2135,40,39略
- 1165,330,42,172信玄山縣
- 1125,330,35,163昌景ヲシ
- 1035,331,39,162守ラシム
- 1077,335,41,157テ駿府ヲ
- 206,758,43,472永祿十二年正月二十六日
- 209,2481,43,123八八五







