『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.279

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

大學、くほ嶋、矢嶋、長沼、やき原、此九人鑓を合せ頸を取候、諸手に手柄の武, たに陣取給ひ、〓きの日は、田村、大か見、八幡、平塚に陣とり、それよりかう, めに、惣人數跡をゝす、相模川を左にあてゝ、岡田、あ津き、か手田、三田、つま, 傳右衞門とて、信玄公御旗本に若手乃者なれは、酒匂の瀬〓みよく仕り, 所迄押込、内藤修理同心木部駿河、待田兵庫、かんな圖書、寺尾豐後、あくつ, ぼ、前川、さかわ迄よせ、次日は小田原へ押詰給ふに、加藤駿河末子他名に, 乃九人の内藤衆武邊は小田原乃大手四門、蓮池の手柄なれは、一入其名, 倉丹後、畠加賀兩人下知に付、新道をこして、諸手へ小荷駄をくはる、川越, てより小田原まそは、山縣、小幡、眞田兄弟、是四人は跡を機津かひ被成た, 歳廿五歳なれとも、走廻才覺ありて、此人時代には、小山田八左衞門、初鹿, 士多とい〓とも、内藤修理上野の簑輪に在城しく、一乃御先を被仰付、右, なり、初鹿傳衞門差物に、香車と云字を書たるに、信玄公御無興なされ候、, 當麻、二乃手は磯邊、御旗本は新道、跡備はさま、小荷駄奉行甘利殿衆は米, 候それより武田勢惣こしに酒匂を越、小田原〓亂入、既に四門、蓮池と云, 其時さかわの川出とるに付、傳右衞門に瀬方みを被仰付候、傳右衞門其, 永藤十二年十月六日, 渡ル, 小田原城, 酒川ヲ, 部下ノ戰, 内藤員豐, 香車ノ指, ニ迫ル, 物, 功, 永祿十二年十月六日, 二七九

頭注

  • 渡ル
  • 小田原城
  • 酒川ヲ
  • 部下ノ戰
  • 内藤員豐
  • 香車ノ指
  • ニ迫ル

  • 永祿十二年十月六日

ノンブル

  • 二七九

注記 (27)

  • 499,705,63,2127大學、くほ嶋、矢嶋、長沼、やき原、此九人鑓を合せ頸を取候、諸手に手柄の武
  • 1432,708,62,2129たに陣取給ひ、〓きの日は、田村、大か見、八幡、平塚に陣とり、それよりかう
  • 1547,715,61,2126めに、惣人數跡をゝす、相模川を左にあてゝ、岡田、あ津き、か手田、三田、つま
  • 853,701,66,2131傳右衞門とて、信玄公御旗本に若手乃者なれは、酒匂の瀬〓みよく仕り
  • 618,698,63,2128所迄押込、内藤修理同心木部駿河、待田兵庫、かんな圖書、寺尾豐後、あくつ
  • 1319,704,63,2129ぼ、前川、さかわ迄よせ、次日は小田原へ押詰給ふに、加藤駿河末子他名に
  • 256,705,63,2118乃九人の内藤衆武邊は小田原乃大手四門、蓮池の手柄なれは、一入其名
  • 1774,709,64,2128倉丹後、畠加賀兩人下知に付、新道をこして、諸手へ小荷駄をくはる、川越
  • 1657,715,65,2127てより小田原まそは、山縣、小幡、眞田兄弟、是四人は跡を機津かひ被成た
  • 967,701,66,2137歳廿五歳なれとも、走廻才覺ありて、此人時代には、小山田八左衞門、初鹿
  • 377,704,63,2125士多とい〓とも、内藤修理上野の簑輪に在城しく、一乃御先を被仰付、右
  • 1206,705,63,2144なり、初鹿傳衞門差物に、香車と云字を書たるに、信玄公御無興なされ候、
  • 1887,710,64,2125當麻、二乃手は磯邊、御旗本は新道、跡備はさま、小荷駄奉行甘利殿衆は米
  • 739,704,63,2127候それより武田勢惣こしに酒匂を越、小田原〓亂入、既に四門、蓮池と云
  • 1089,702,66,2135其時さかわの川出とるに付、傳右衞門に瀬方みを被仰付候、傳右衞門其
  • 162,700,43,389永藤十二年十月六日
  • 755,272,45,75渡ル
  • 711,274,42,167小田原城
  • 799,275,42,163酒川ヲ
  • 285,269,42,170部下ノ戰
  • 329,272,41,169内藤員豐
  • 1237,278,43,172香車ノ指
  • 669,281,42,111ニ迫ル
  • 1195,278,41,37
  • 243,270,42,41
  • 161,700,44,389永祿十二年十月六日
  • 157,2431,45,120二七九

類似アイテム