『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.167

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ることを得べし、, たり、リヨウケイは、途に食事の用意をなし、我等と同行せし高山殿の兵士, を招き、〓を流して我等と別れ、多年基督に於て有せし交際を行つを悲し, 餘死したるを以て、我等は僧院外の旅館に宿泊せり、同所より進んで堺を, 三月二十六日、, の領主は、今日まで嘗て日本にあらざりしことは、キリシタン及び異教徒, 僧院なるが、同所にては、短日内に生命を消耗する一種の疫病の爲め、千人, みたり、同日午後一向宗派のトンダジナイと稱する地に著きたり、坊主の, 殿、信長の許可を得て、都より予を招くことを命じたれば、彼は八レグワの, 堺のキリシタンの懺悔を聽き、聖餐を授け、遠くまで諸人の見送りを受け, の共に言ふ所にして、書翰に述ぶるより、遙に大なるものあるは、尊師信ず, 地にて、予を待ち受くるが故に、準備をなすべき旨を傳へたり、予は同日晝、, 〓、デウスの教及びパードレ等を庇護援助し、之が爲め、大に盡力する異教, 歩及び騎馬の兵士數人と共に、住院の人の用に充つべき馬匹を送り、和田, 去る五レグワのフジに至りしが、タンガン殿は、荷物を運搬する爲め、十人, 土曜日、蒙告祭の後、タカヤマンドノは、徒, )水祿十二年二月, 一十八日ニ當ル、, ふろいす, 堺ヲ發シ, 池田丹後, テ京都ニ, 向フ, 守, 永祿十二年四月八日, 一六七

割注

  • )水祿十二年二月
  • 一十八日ニ當ル、

頭注

  • ふろいす
  • 堺ヲ發シ
  • 池田丹後
  • テ京都ニ
  • 向フ

  • 永祿十二年四月八日

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  • 一六七

注記 (26)

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