『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.210

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者共に、それ〳〵御褒美被下ける、, 城及ひ讃岐り領せし地, 申の下刻、勝鬪を取行ひ、大浦へ御歸陣被成、讃岐領地森岡金吾に被下、扨又, 敵味方亂軍せるに及んく、公機を見て相圖の螺を鳴らし給へは、信元り一, て、敵の紋形の中の九曜を可用旨蒙御意、紋形相改めけり、同六日、和徳城主, 功を録しく、夫々に賞を賜りけり、中にも信元は拔群の功あるを以て、和徳, 小山内讃岐守御征討之時、信元一隊の將を承りて、稻荷林に屯せり、然るに, 十二屋又次郎、塗部地新七、櫻田宇兵衞三人の者共にも、各所領被下、手柄の, 城主南部左衞門佐高信御征討之節、二番手被仰付、軍功有之こ付、其印とし, 隊〓然として植田の中より起り、其兵を二となし、一手は城の方に向ひ、一, 手は横さまに讃岐り背を衝て歸路を斷ち、打てらゝりけれは、敵兵大に敗, 走し、遂に讃岐をは十二矢宗廣打取たり、城をも終こ平らけぬ、其明日此戰, ける、, を賜はり, 〔津輕舊記傳〕一大浦山城守爲治元龜二年五月五日、爲信公大佛ケ鼻, 信元戰ひに臨み、兵を率るに嚴重にして、法令正しき故、士卒を己り手足, 森岡由緒, 津輕野より境關、左比内、福村、堀越の内大, 和澤、清水森、小栗山、湯口、相馬、合テ七千石、, 書、一木萩、, 六日トノ, ノ戰功, 和徳城攻, 廣讃岐守, 森岡信元, 十二矢宗, ヲ討取ル, ノ戰功, 大浦爲治, 説, 元龜二年五月五日, 二一〇

割注

  • 森岡由緒
  • 津輕野より境關、左比内、福村、堀越の内大
  • 和澤、清水森、小栗山、湯口、相馬、合テ七千石、
  • 書、一木萩、

頭注

  • 六日トノ
  • ノ戰功
  • 和徳城攻
  • 廣讃岐守
  • 森岡信元
  • 十二矢宗
  • ヲ討取ル
  • 大浦爲治

  • 元龜二年五月五日

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  • 二一〇

注記 (32)

  • 1565,628,58,1003者共に、それ〳〵御褒美被下ける、
  • 399,625,58,693城及ひ讃岐り領せし地
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