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に、彼等に頼りて、目的を達する事能はざりき、, 彼の爲めに盡す所大なりし和田殿を都の總, 時都の政治に與りたる諸侯に就き、復歸を計らんとして、種々努力せしが、, に赴き不在なりしを以て、其希望を達すること能はざりき、, を留め、之を支持する爲めに、悉く財物を賣り、又三四年間諸國を巡歴して、, 此公方樣を其兄弟の地位に復せんことを他の諸侯に請ひ、此間限りなき, より追はれて、多年此地に留れることを語り、之に就き、信長に訴へん事を, 督に任じ、五幾内中殆ど最も勢力ある領主とならしめたり、其和田殿が、信, 王信長、〓然約五萬人の兵を率ゐて來り、現公方樣を京都に入れ、, 其中の四人は、デウスの教の敵にして、唯二人のみ、余に好意を有せしが故, 長の軍の重立ちたる諸將と共に堺に來りし時、ダリヨは、余が不當にも都, パードレ・ガスパル・ビレラは、豐後に招かれたれば、余は五年間堺に留り、當, 辛酸を嘗めたり、ダミヤンのコカに赴きし時、和田殿は、此事に關して、他國, 此の如くして、年月を過し、我等の復歸は、不可能なりと思はれし時、尾張の, 請ひたり、彼は之を聞くや、直に余を招かしめ、折節多數の大身等と會議中, テ入京スルコト、永祿十一年, 九月二十六日ノ條ニ見ユ, 昭ヲ奉ジ, ○信長、義, 京都ノ奉, 行ハ耶蘇, 惟政ふろ, 教ヲ斥ク, ヲ援ク, 惟政義昭, いすト堺, ニ會見ス, 元龜二年八月二十八日, 八〇〇
割注
- テ入京スルコト、永祿十一年
- 九月二十六日ノ條ニ見ユ
- 昭ヲ奉ジ
- ○信長、義
頭注
- 京都ノ奉
- 行ハ耶蘇
- 惟政ふろ
- 教ヲ斥ク
- ヲ援ク
- 惟政義昭
- いすト堺
- ニ會見ス
柱
- 元龜二年八月二十八日
ノンブル
- 八〇〇
注記 (29)
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