『大日本史料』 10編 8 元亀2年雑載~3年3月 p.218

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

十四人を附て細石の本陣に遣す、, を指せる成べし、, 師の平等寺に落行く、高祖勢付慕て押寄けれバ, 行て有けるが、日比名を得たる壯士共も皆丹後守に隨身してければ、留守にハ有甲斐な, 田前合戰に打る共いへり、何れか是なる事を不知、但大原氏備後と稱する者三人死せし, 高祖方大原備後守此度討死す、一説、備後ハ去る弘治三年岐志にて死す、又永祿十一年池, 又一説に、臼杵中通を打廻り、波多江丹後守種賢か高辻の館を圍たり、折節丹後守高祖に, 泊城へ入、市川甚三郎と云者に介錯せしめ切腹す、其墓泊村に有とも云傳へたり、後年了, 下の城戸を堅めたり、木原方正と云者ハ、病に臥して倉持村に在しが、從弟大學に年少共, 榮より波多江丹後守を賞する書に、其方事、池田下河原合戰之刻一番鑓仕とあるハ、此役, 入ければ、上下色を直して勇ミけり、頓て了榮より大原・富田・有田・水崎・中嶋・西鬼木・, 大田・友枝・中原・平山等千五百餘人を差向、池田河原にて鑓を合せ、進士兵衞敗北して土, き老兵・雜人原にて坊兼て見へける處に、丹後守聞付て六十五騎にて馳歸り、驅破て内に, 木原備前・波多江右近・友納修理・國友三郎左衞門・谷若狹を初三千人ハ、形の如く高祖上, 進士兵衞爰をも遁れ出て, は、時に寺罹兵火, 眞清水山縁起ド, 元龜三年正月二十八日, 二一八

割注

  • は、時に寺罹兵火
  • 眞清水山縁起ド

  • 元龜三年正月二十八日

ノンブル

  • 二一八

注記 (19)

  • 527,669,60,797十四人を附て細石の本陣に遣す、
  • 873,658,54,403を指せる成べし、
  • 1211,654,61,1140師の平等寺に落行く、高祖勢付慕て押寄けれバ
  • 1671,653,67,2162行て有けるが、日比名を得たる壯士共も皆丹後守に隨身してければ、留守にハ有甲斐な
  • 299,673,64,2152田前合戰に打る共いへり、何れか是なる事を不知、但大原氏備後と稱する者三人死せし
  • 411,668,65,2160高祖方大原備後守此度討死す、一説、備後ハ去る弘治三年岐志にて死す、又永祿十一年池
  • 1786,655,65,2155又一説に、臼杵中通を打廻り、波多江丹後守種賢か高辻の館を圍たり、折節丹後守高祖に
  • 1095,658,73,2163泊城へ入、市川甚三郎と云者に介錯せしめ切腹す、其墓泊村に有とも云傳へたり、後年了
  • 638,667,68,2160下の城戸を堅めたり、木原方正と云者ハ、病に臥して倉持村に在しが、從弟大學に年少共
  • 984,660,71,2163榮より波多江丹後守を賞する書に、其方事、池田下河原合戰之刻一番鑓仕とあるハ、此役
  • 1442,657,64,2159入ければ、上下色を直して勇ミけり、頓て了榮より大原・富田・有田・水崎・中嶋・西鬼木・
  • 1325,658,71,2158大田・友枝・中原・平山等千五百餘人を差向、池田河原にて鑓を合せ、進士兵衞敗北して土
  • 1552,658,69,2152き老兵・雜人原にて坊兼て見へける處に、丹後守聞付て六十五騎にて馳歸り、驅破て内に
  • 755,664,67,2158木原備前・波多江右近・友納修理・國友三郎左衞門・谷若狹を初三千人ハ、形の如く高祖上
  • 1226,2199,57,610進士兵衞爰をも遁れ出て
  • 1208,1863,41,308は、時に寺罹兵火
  • 1251,1850,41,326眞清水山縁起ド
  • 1896,708,44,416元龜三年正月二十八日
  • 1909,2337,40,115二一八

類似アイテム