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の後抽木崎丹後と称し、古丹後守か実孫也と申出る、段々御詮儀有しに、此丹後理運に, こあり、後年忠平公上方ゟ御下國之砌、日州六野原こ而丹後か事をおほしめし出され、, けん、弓矢投捨て、馬ゟ下り、跪にそ居たりける、忠平公降參之色ありとはおほしめせ, 上ゟ甲の眞甲と志し、つき出し玉ふ拍子に、御馬膝を礑と折けれは、丹後か眞たゝ中を, ひ、田中五右衞門後こ石塔碑文あり、又其時の御手鑓は、城州長吉作〓而、穗の長サ壹尺, 木崎丹後守と名乘て弓矢を番ひ待けるに、嶋津兵庫頭は我也と駈付玉へは、如何おもひ, て、甚た御秘藏也しか、此レゟ膝衝栗毛と名付玉ふ、八拾余歳にて死す、帖佐龜泉院に葬, とも、若や我を近〳〵と引寄せ、組ぬとおもふも知れすとて、馬を早めて鑓取のへ、馬, 〓玉ふ、丹後か家來比田木玄助と名乘て亦〓掛るを、同鑓之而突留玉ふ、此馬は牧馬に, 其勇敢之体を御咄あつて、其子孫はあるましきやと尋させ玉ふに、抽木崎次郎右衞門と, 言者、古丹後か子孫也とて罷出る、則高貳拾四斛九斗宛行はれ、高岡に召置れしに、そ, 三寸五寸五部、裏こくりから竜のきり物、表こは八幡大菩薩の文字あり、今に御兵具所, 究り、遂こ次郎右衞門こ下置れし高御取揚之而、丹後こ賜り、穆佐こ召置れ、抽木崎平右, 衞門とて子孫あり、○扨これゟ先は敵城を近候故、黒木播磨申上、粥餅田の小川を限り, 石碑, 膝衝栗毛ノ, 刀工長吉, 元龜三年五月四日, 一一八
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- 石碑
- 膝衝栗毛ノ
- 刀工長吉
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- 元龜三年五月四日
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- 一一八
注記 (19)
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