『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.327

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て、各休み居たり、かくて夜半計の事なるに、西北の山數ケ所に松明をとも, 子を落し、後心やすく最後の合戰すへしとて、普代の侍横川に申付、丹後守, けり、然るに丹後守其夜の軍に手を負ひ、終に卒し、城内以の外力を落し、此, かな、物見せんとて塀へ乘る所を、又ためすまして放ちけれは、左の脇より、, 作之進と示し合せ、無二無三に討てかゝる、同時に城内にも鬨の聲を合せ、, 右の脇うてを懸ケて打ぬかれ、あつと計にて倒れけり、是に利を得て、城内, て、今日は日暮ぬとて引退キ、南の手を明く三方に陳取、明日の軍の評定し, 上は籠城叶ひあたしとて、心々に成にけり、伊六郎思ひけるは、先丹後守妻, 久七をはしめとして、討るゝ者六十三人、或は弓鉄〓を捨。右往左往に迯散, には鬨を作りかけ、弓鉄炮を透間なく放ちかけゝれは、寄手は案に相違し, 妻子をは、上山修理允へ送り遣はしける、其後落殘る侍十二人、伊六郎共に, は丹後守弟なるり、後詰のために三日前より城を出、平野の山に忍ひ居て、, 發す鉄炮太六りあたまにあたり、即時に倒る、太兵衞是を見て、口惜き次第, し箝を焚、あれはいりにといふ所に、一手は新居作之進。一手は東伊六郎、是, 木戸を開て打て出る、寄手は思ひもよらぬ事なれは、下村越中、川本久内、同, 城主福良, 宗勝戰死, ス, 元龜二年是歳, 三二七

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  • 城主福良
  • 宗勝戰死

  • 元龜二年是歳

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  • 三二七

注記 (20)

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