『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.33

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り、安西父子打續二本松へそ參りける、斯て政宗は小濱を打立、大隈川を越て、大原, すへきとて其支度をせられしか、釋門の身なれは兵具なかりけるに、越後方に熊皮所持, せしを搜出し、能鎧甲候とて、熊皮五枚重て頭巾の如くし、籠の有けるに著せ、烏帽子, 山・荒井山・狐か崎・北向山へ打續、無透間陣取ける、片倉小十郎は手勢引率、道光寺, の如くに引かむり、同皮三枚合て道服の樣に仕立、鎧として著しける、雜駄鞍を置打乘, と云若者、越後を慕ひ來たりける、然るに主計か器量唯ものにあらす事を見とめて、, 共妻子從類召連て籠城すへき由、廻文を以觸來けれは、安齋父子も籠城の支度をそ仕た, 比は天正十三年の冬、義繼討死の後、二本松畠山梅王後見新城彈正少弼、國中旗下の者, りける、然ルニ安西一族等か菩提所眞行寺道宗は、道高と親子なりけれは、一族共籠城, 其儘馬を引返し城中へそ歸りける、後に玄蕃允謀叛のこと顯て栗か作之而打れし時、扨, 姉女と取合て聟とし、家を續しむへき約をなしける、則安西越後介眞道とそ名を改ける、, 説に曰、天正の頃安西越後介道高か許え、北國邊より先祖同州の所縁とて、淺井主計, は玄蕃か箭日物見え矢文射んとての智謀なるへし抔と、語あへり、, 〔積達古館辨〕〓岩代上川崎村赤阪館, 略, 〔嫡〕, ○下, ○岩代, 奮戰, 安西一族ノ, 天正十三年十月十五日, 三三

割注

  • 〔嫡〕
  • ○下
  • ○岩代

頭注

  • 奮戰
  • 安西一族ノ

  • 天正十三年十月十五日

ノンブル

  • 三三

注記 (22)

  • 457,611,64,2248り、安西父子打續二本松へそ參りける、斯て政宗は小濱を打立、大隈川を越て、大原
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