『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.140

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哲首座とて、安國寺の僧侶成るが還俗し、林翁齋とて、其頃八拾有余の入道有り、文才博, 勢ひなるが故に、彼の家に相従而巳なり、身拂ひ不意の軍は力に不及事なり、又遂こは, 左衞門尉丸目兵庫允, 散たるもの共は、小林・高原・野尻を差て落行は、小林も漸く城を持留たり、日向の人, き人なり、其林翁齋が云けるは、今國の家風を觀るに、散位入道の行跡不可然、愛侫幸の, 臣、溺阿媚面従、避賢愛、小人事を得たり、異朝にも其例あり、紂惡理与義、愛利与非、, 遂に夏・商滅〓を得たり、今の政風を見るに、古の聖の禁戒とする處一ツも不闕、當時の, 去程こ大將十人、宗徒の人五拾人、其外究竟の勇士侍以下切捨、數をもしらさる所也、迯, して申けるは、對薩摩執深甚之恨事不可然、徃古ゟ嶋津殿と伊東雖有相隔、隅・薩兩國の, 和睦可成ものをとそ申ける、又伊東年來の人に、田嶋刑部丞と云し人の弟出家して玄, 橋口半七郎肥田木越中守野森源秀入道平治部左衞門尉中村筑前守福永四郎, 々は佐土原・都郡に馳集り、十方に暮てそ見へにけり、此度出場思召立時、民以下誹謗, 野村四郎左衛門尉野村藤七郎柚木崎丹後守實相院紙屋圖書助多津目民部少輔, 權者雖加諫言不従諫、又聞其古、伊東攝津守祐氏、此国へ下向の時は、日向を十二人して, ノ誹謗, 伊東氏領民, 林翁齋ノ評, 元龜三年五月四日, 一四〇

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  • ノ誹謗
  • 伊東氏領民
  • 林翁齋ノ評

  • 元龜三年五月四日

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  • 一四〇

注記 (19)

  • 720,625,63,2250哲首座とて、安國寺の僧侶成るが還俗し、林翁齋とて、其頃八拾有余の入道有り、文才博
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