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は、是程取むすびての上、三左衞門は成まじきと申候、そこにて本多平八郎、其歳廿五歳, 御手前ばかりをもつて、何とて信玄と合戦成申べく候、爰をば先引とり候て、濱松へ歸, ぐる也、甲州武田勢はくひとむるなり、濱松衆既に大事とある時、家康内の侍大將内藤, 定番の儀能樣に被仰付、久野の城御見廻の時、家康衆隨分の侍大將、三かの川をきり、, 四千餘の人数にて打出る、信玄公あれをのがさゞる樣に打とれと被仰付、家康衆引あ, 萬餘の大軍と、家康出給はぬに合戦仕り、まくるは必定なり、是にて各負候はゞ、家康, り、重て一戦をとげ候はゞ、其時は又、信長御加勢を被成に付ては、それを同勢して、, 三河武者八千をもつて、無二の防戦を遂られ候へ、但、かくはいひなから、人数あぐる儀, 甲府を御立あり、遠州たゝら・飯田兩城落て御仕置あり、乾天野宮内右衞門に、遠州の, なれども、家康したにおひて度々の誉有よし、内々武田の家へも聞ゆる樣なりつるか、, 三左衞門と申者、家康八千の惣人数は、五千是迄出て、信玄といふ名大將の、しかも一三, 彼平八郎甲にくろきかの角を立、身命をおしまず、敵味方の間へのり入、引上たる樣子, 公遠州おもてへ御發向をきゝ合罷有候内、せりあひなど在之なり、信玄公、十月中旬に、, 年十月中旬に、山縣三郎兵衞信州いなへうち越、それより東三河へ出て、信玄, 一、同, 申、, 壬, 々良飯田兩, 家康ノ軍遠, 城ヲ陷ル, 信玄遠江多, 江三箇川ニ, ニ出ヅ, 出陣ス, 昌景東三河, 元龜三年十月三日, 一九八
割注
- 申、
- 壬
頭注
- 々良飯田兩
- 家康ノ軍遠
- 城ヲ陷ル
- 信玄遠江多
- 江三箇川ニ
- ニ出ヅ
- 出陣ス
- 昌景東三河
柱
- 元龜三年十月三日
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- 一九八
注記 (27)
- 486,680,60,2164は、是程取むすびての上、三左衞門は成まじきと申候、そこにて本多平八郎、其歳廿五歳
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