『大日本史料』 10編 16 天正元年4月~同年7月 p.249

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意見なりき、, 其の時期、其の月には猛烈にして怖しき颱風の來襲する事常なれば、颱風の船を襲ふ以, を主張せり、されど、(乘客の大部分を占める)他の者等は、此の意見に與せず、寧ろ, ぜしめたるを以てなり、, に荷物の積み過ぎにして積荷の方法も亂雜を極めたり、何となれば、輕量の生絲は船倉, 前に全速力を擧げ、且つ能ふ限りの注意を拂ひて肥前國の孰れかの港に避難すべきとの, 聖プラクセディス, に携行せしフランシスコ・ペレイラは、他の者數名と共に、ナウは豐後に航行すべき旨, の下方に來り、銅・鉛・水銀は船室の上方に位置して、其の爲め大きなる搖れを船に生, 甑嶋を視界に得たる後、二、三日が經過せし頃、商人等の間に樣々なる意見生じたり、, 即ち、全員のうちにて最も富裕なりしジェロニモ・フェルナンデス、竝びに印度副王の, にして、又人々の利得に對する貪慾と〓望は之に劣らず大きければ、かのナウは明らか, 許へ遣はされたる豐後の國王〓, の使節に同行し高價なるエスペラ砲, の朝、彼等未だ何, の曰なる七月二十一日, を彼, が許, 天正元年六月二十八日, ○豐後, ○大友, 國王、, ニ働キタリ、然レバ七月二十一日天ニ召サレ、, 宗麟, 父ぷでんすト姉ノ墓ニ埋葬セラレシト言ヘリ、, 土一八〇年)ガ迫害ノ際殉教セシぷでんていあなノ妹ニシテ、きりすと教徒及ビ奴隷ノ爲, 月二十八曰、, 〓傳説ニ據レバろーま皇帝まるくす・あうれりうす・あんとにうす(在位自西紀一六一年, ○元龜四年六, ○大, 砲, 入港先ニ關, 同行セルふ, 大友宗麟ノ, すハ豐後入, 印度遣使ニ, えるなんで, シ意見分ル, 甑嶋, 港ヲ主張ス, 乘客ノ大部, 分ハ肥前入, 港ヲ主張ス, 天正元年六月二十八日, 二四九

割注

  • ○豐後
  • ○大友
  • 國王、
  • ニ働キタリ、然レバ七月二十一日天ニ召サレ、
  • 宗麟
  • 父ぷでんすト姉ノ墓ニ埋葬セラレシト言ヘリ、
  • 土一八〇年)ガ迫害ノ際殉教セシぷでんていあなノ妹ニシテ、きりすと教徒及ビ奴隷ノ爲
  • 月二十八曰、
  • 〓傳説ニ據レバろーま皇帝まるくす・あうれりうす・あんとにうす(在位自西紀一六一年
  • ○元龜四年六
  • ○大

頭注

  • 入港先ニ關
  • 同行セルふ
  • 大友宗麟ノ
  • すハ豐後入
  • 印度遣使ニ
  • えるなんで
  • シ意見分ル
  • 甑嶋
  • 港ヲ主張ス
  • 乘客ノ大部
  • 分ハ肥前入

  • 天正元年六月二十八日

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  • 二四九

注記 (45)

  • 590,650,52,306意見なりき、
  • 809,651,78,2252其の時期、其の月には猛烈にして怖しき颱風の來襲する事常なれば、颱風の船を襲ふ以
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  • 1674,670,80,2243の下方に來り、銅・鉛・水銀は船室の上方に位置して、其の爲め大きなる搖れを船に生
  • 1426,661,75,2217甑嶋を視界に得たる後、二、三日が經過せし頃、商人等の間に樣々なる意見生じたり、
  • 1299,660,80,2249即ち、全員のうちにて最も富裕なりしジェロニモ・フェルナンデス、竝びに印度副王の
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