『大日本史料』 10編 16 天正元年4月~同年7月 p.363

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りの兵ものは、卅騎計相具て、御本陣處を打過て、護摩所小路ニ御打出させ給へは、, り軍兵が五百騎計り御陣中ニ切り上り、護摩所小路に走せ出て、若きものゝ悲しさは、, 多勢を見ても恐るへからす、と軍兵ニ氣を張付て御口すさみ玉ひしが、天慮に叶ひお, 本をくつろけて、多年祈誓を致したる其功徳や蒙りて、愛宕山の太良坊・大天狗・小, 敵は手もなく大手の口を引退き、時刻を待しけしきなり、家久樣は御覽て、上古も懸, 多を敵に打せては、惡かりなんと思食し、三尺五寸有馬作り之大太刀の眞中拳り大鍔, 時刻は辰の初也、山つゝきに立登る朝霧に、軍氣や夫かあらぬと見る儘に、山の方よ, 搦手衆くばりと名乘て、かきごしの合戰なり、此外の兵ものも、我も〳〵と軍勞す、, 家久樣之御供也、宗徒の兵物都合其勢二千餘騎こは過さりけり、貳手に分て、大手, わしまし、御國のさきにそ隨ひける、於御前左も花やかに進み出て、東郷掃部助と名, 御下知を仰出されて、相摸守忠良公の御詠歌を思食、無勢とて敵をあなとる事なかれ, 陣屋に妨火を不致して、此方彼方と安するを、家久樣は御覽て、其敵打や兵もの共と、, る例有り、東邊を打て、西邊を驚すと、御下知にて、將基をはづさせ給ひて、御手廻, 乘て攻入て、傳等いたし其場にて戰死也、是をきつと御覽て、あな無暫也、兵物共餘, 詠歌, 護摩所小路, 島津忠良ノ, 家久ノ奮戰, 天正元年七月二十五日, 三六三

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  • 詠歌
  • 護摩所小路
  • 島津忠良ノ
  • 家久ノ奮戰

  • 天正元年七月二十五日

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  • 三六三

注記 (20)

  • 1406,755,75,2151りの兵ものは、卅騎計相具て、御本陣處を打過て、護摩所小路ニ御打出させ給へは、
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