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榊原小平太申けるは、次右ゆわれざる儀を仰被上候、我等同心の高名には、れきぜん, 次右衞門尉いらざる事な申そ、我家にて、汝に武邊にてんうつ者は有間敷に、我次第, 物に候間、いかに同心之こしを引度共、なき事は成間敷と申ければ、其時御状には、, ば罷有、あしければ罷あらず、御普代之衆は、よくてもあしくても、御家之犬にて罷, とてしらせ給はん、其あたりへもこずシて、いらざる事を仰候、見ぬ京物語はせざる, にしておけと御意之うへ、かしこまつて御前を罷立ければ、くだんのらう人は、有事, 出ざるに、せざる高名を立させられ候御事は、一段とめいわく仕候と申上ける處に、, ニ降ル事ヲ不知、諸將ヲ遣シテ遠州所々ニ陣ス、武田逍遙斬森ノ郷ニ於テ、本多平八, 郎忠勝・榊原小平太康政・大須賀五郎左衞門尉康高・本多作左衞門尉重次等ト挑戰フ、, したるにきこゑざると被申ければ、次右衞門尉申は、たれ人のよきあしきも貴所之何, 九月大、諸賀・小泉・吉田、長篠ノ城ヲ保ツ事ヲ得ス、甲州ニ走ル、勝頼長篠ノ城既, 武田力兵軍ニ利ヲ失テ敗北ス、穴山・一條カ二手ノ兵ヲ以テ是ヲ救ハント進ムト云ト, ならずして、虚工にうせぬ、, 〔家忠日記増補〕五, 天正元年九月八日, 家康ノ裁決, 康政ノ陳辯, 天正元年九月八日, 五六
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- 家康ノ裁決
- 康政ノ陳辯
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- 天正元年九月八日
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- 五六
注記 (19)
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