『大日本史料』 10編 18 天正元年9月~同年11月 p.299

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○武田信綱等、徳川家康ノ將大須賀康高等ト遠江堀越ニ戰ヒ敗走スルコト、本年, うちとめむとせしに、露顯して甲兵のためにうたる、, 城代石川日向守に申付、勝頼公を鐵炮をもつて、入坂の切通にてねらはする、さり, にて勝頼公をねらひ申者のうち、味岡と申者を甲州方へ生とり候也、馬場美濃守申, また・いぬい・かうみやう・あまかた・たゝら筋、各御持の城々御仕置有て、家康, ながら、馬場美濃守工夫思案のはかりことある名人ゆへ、是を見出し、家康衆三人, され候は、信玄公御代より當年まで卅一年の間、是を心懸候、甲・信の堺、又は信, 持の城懸河を御順見なされ、御歸陣あるに、家康分別いたさるゝをもつて、懸川の, 九月八日ノ條ニ、家康、同國諏訪原城ヲ攻メテ之ヲ陷ルヽコト、天正三年八月二, 州おさまりてより信州・飛彈の堺、越中・信州の堺、東美濃・東三河・上野・武藏, 一、同年酉九月、勝頼公遠州へ御馬を出され、見つけの府まで御はたらき候て、ふた, 〔參考〕, 〔甲陽軍鑑〕十九, 天正元年十一月四日, 十四日ノ條ニ見ユ、, ノ歸途ヲ狙, 只來ノ諸城, ヲシテ勝頼, 付ヲ攻撃ス, ヲ巡視ス, 勝頼遠江見, ヲ豫知ス, 撃セシム, 馬場信春之, 居光明天方, 同國二俣犬, 代石川家成, 家康懸川城, 二九九

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  • ノ歸途ヲ狙
  • 只來ノ諸城
  • ヲシテ勝頼
  • 付ヲ攻撃ス
  • ヲ巡視ス
  • 勝頼遠江見
  • ヲ豫知ス
  • 撃セシム
  • 馬場信春之
  • 居光明天方
  • 同國二俣犬
  • 代石川家成
  • 家康懸川城

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  • 二九九

注記 (29)

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