『大日本史料』 10編 19 天正元年12月~同年雑載 p.124

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翰の内容を知らしめんことを、何となれば余は彼等各人に個々に書き認むる時間を有, 師に充分に悟らしめ、又之を完全に遂行せしめ給はんことを、, い奉るものなり、我等の主なるデウスが尊師を御手の中に置きて聖なる御旨を悉く尊, 人洗禮を受けたり、又予は彼の後に其一子に洗禮を授くる筈なり、我等は之に既に, 等が我等に近き法華宗の一僧院に宿泊し、而も此玄蕃殿が彼等の間に多數の朋友知人, 於て公方樣に仕ふる人にして、都の當教會の爲め大なる助なり、彼と共に其家臣二, を有するが故に、彼の勸めに依り毎日多數の者同所に來りて説教を聽聞せり、而して, せざればなり、此地のキリシタン一同并に予も亦彼等と共に尊師の聖き犧牲に於て願, ベントの名を與へしが、彼は九歳程にして同じく公方樣に仕ふる者なり、丹波のジ, 一アンは其兄のキリシタンとなりたることに就き主に在りて大なる滿足を得たり、, せし武士一人に洗禮を授け、我等は彼にジュリアンの名を附けたり、同人は今當地に, 一五七三年五月二十七日、都のイエズスの教會より、, 池田領の士卒は公方樣を護衞する爲めに十日毎に三百名づゝ當地に來れり、而して彼, 六月七日, の日曜日、余は當所に於てジョアン内藤殿の長兄にして玄蕃殿と稱, ○天正元年, 五月八日、, 受洗ス, 汝安兄玄蕃, 池田氏ノ十, じゆりあん, 卒説教ヲ聽, 義昭護衞ノ, 天正元年是歳, 一二四

割注

  • ○天正元年
  • 五月八日、

頭注

  • 受洗ス
  • 汝安兄玄蕃
  • 池田氏ノ十
  • じゆりあん
  • 卒説教ヲ聽
  • 義昭護衞ノ

  • 天正元年是歳

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  • 一二四

注記 (25)

  • 1812,682,61,2186翰の内容を知らしめんことを、何となれば余は彼等各人に個々に書き認むる時間を有
  • 1437,679,55,1576師に充分に悟らしめ、又之を完全に遂行せしめ給はんことを、
  • 1560,690,59,2180い奉るものなり、我等の主なるデウスが尊師を御手の中に置きて聖なる御旨を悉く尊
  • 815,676,58,2185人洗禮を受けたり、又予は彼の後に其一子に洗禮を授くる筈なり、我等は之に既に
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