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後藤惟明、道可公第二子也、, けれは、龍藏司より惟明を世に出し申さんとよひとり申されて、此方の城にこめ, 〔松浦家世傳〕, おかれたひけるか、後には和與と成て、龍藏司政家の御しやていに家信と申を、, りあつて、惟明此中親に箭をはなし申たる事、くはんたいしこくにて候間、其と, 尚明の入耳にして一家を渡して、尚明父子はお木のくほ田千町を給りておしこめ, たしまいらせられて、一年もすきさるに、龍藏司と尚明の中あしく成て弓箭に成, 法師、至此十餘歳、貴明愛之、欲割其邑半以與之、因惡惟明、患之竊思歸平戸、此, 攷、法師、據藤山考略、長稱彌次郎、名晴明、後氏稱龍造寺、實名家均、據要, かしめとして、一月なりともかた原にめしをき候するとて、平戸のことくつれく, 夜招族戚等告之、惟明天資仁慈能愛人、一族臣庶多歸之、不欲使之去、乃背貴明、, 遽移于宮野館而避害、於是惟明・貴明相抗、, られたまいける、これ明には伊萬里をまいらせられける、, 略、至末年稱後藤正左衞門、要略・肥陽軍記・龍造寺記、家均作家忠、而要略, 六月二十九日、初惟明爲貴明嗣、後貴明生男、稱, ○鎭西要略, 五十三公族傳二十五, 道可公公族傳, 異事ナシ, ○「深江記」, ○中, 略, 引、大曲記, (天正二年), 天正二年七月十日, 九八
割注
- ○鎭西要略
- 五十三公族傳二十五
- 道可公公族傳
- 異事ナシ
- ○「深江記」
- ○中
- 略
- 引、大曲記
- (天正二年)
柱
- 天正二年七月十日
ノンブル
- 九八
注記 (26)
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