『大日本史料』 10編 28 天正3年正月~3月 p.56

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を、輝元の同朋覺阿彌、生年十八才に成けるか、今日の合戰は千負死人餘多有りといへ, 方の山に打上り、思ひ〳〵の籏を指立、一敲一聲に調合て、撰を瞳とそ上にけり、城内, 稠しけれは、雙方の軍兵死する者多し、流石の大將なりしかは、是程の小城一つに疾へ, 乘合せ、無手と組伏て遂に平内か頸〓切て捨たり、平内も剛の者にて、下より透間なく, の勢少しも疾す、鐵炮矢石如雨放、寄手は彌々不屑、堀際迄蹄を竝へ、屏をきしつて持, て雙方互に指違て失にけり、又宮ノ内〓藏十大輔は、三村孫太郎か家來有木平内と云者に名, 二タ刀刺たり、内藏大輔二町計り退て、是も同時に果にけり、其日の軍には城内の戰, は、松山勢大半色を失ひ、小〓中の舂大等皆振辰事限りなし、元親一身の覽悟故、斯成, 取退けり、鶴頸の城も明れは、天正三年正月朔日に松山へ〓含臼む、其さ如田〓なりしか, て、あれ引落して今日の軍に奉らんといふも、不敢迫懸、稍斬2暫〓く戰ひけるか、無手と組, 共、未だた方へ印を取とは見へさる處に、あの坂口に見へたる敵頸二つ打物に貫き歸り, き、翌日より仕奇句を圍、〓をからみ、大鐵炬を〓寄せ、廿九日の寅の刻には、數萬騎四, 楯をあげ、息をも不繼〓句れは、大晦日夜半計に落城す、去れ共彼の一族は無芯松山へ, 行てそ痛はしけれ、, 天正三年正月一日, }王六

  • 天正三年正月一日

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注記 (16)

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  • 473,337,29,1150方の山に打上り、思ひ〳〵の籏を指立、一敲一聲に調合て、撰を瞳とそ上にけり、城内
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