『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.162

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の水道なり、故に守口よわ山田村迄凡五里計也、, か心底に疑ひ奉り、御答申樣は、私儀は此所より宇治橋を渡り、木幡越を, 神君若途中にして我を殺し、其領分を沒收せらるへきかと、いべした己, 御旅宿は、善兵衞設る處也、十市より山田越をして、山田村に至る行程凡, 行、それより安土へ罷歸て、進退兎にも角にも可仕と御請申上る、梅雪は、, 五里也、今夜此所よりの御退道、御相談の砌、神君は梅雪、お竹等に向はせ, 甲州まて送り屆らるへしと仰らる、竹はいかにも御意に隨ひ、勢州迄越, に天王寺村有、即天王社あり、其次に普賢寺といふ寺有、峠よわ山城の, 具元往昔聞く、此山田村のあたり十市玄蕃領分近し、故に今晩山田村の, られ、兎角各も我等と一同に伊勢路迄退るへし、且又梅雪は御同道有て、, 近江の高嶋に掛り、美濃の岩村に出候得は、甲州への便路宜しく候と申, 具元、國繪圖を以て案するに、守口ゟ宇津木越の峠迄、凡三里半計、其峠, 方へ下りて普賢寺谷なり、南の方山田村へ壹里也、是則木津川上の方, す、神君兎も角もと仰らる、依て梅雪は御同道申さぬ也、, 天正十年六月四日, 譜牒餘録吉川源五兵衞書上、及ビ同後編吉川七郎, 兵衞書上ニ見ユレドモ、疑ハシキヲ以テ採ラズ, ○吉川一族、家康ヲ山, 田村二案内スルコト、, 行ヲ拒絶, 梅雪家康, ヲ疑ヒ同, ストノ説, 天正十年六月四日, 一六二

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  • 譜牒餘録吉川源五兵衞書上、及ビ同後編吉川七郎
  • 兵衞書上ニ見ユレドモ、疑ハシキヲ以テ採ラズ
  • ○吉川一族、家康ヲ山
  • 田村二案内スルコト、

頭注

  • 行ヲ拒絶
  • 梅雪家康
  • ヲ疑ヒ同
  • ストノ説

  • 天正十年六月四日

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  • 一六二

注記 (25)

  • 1413,787,65,1415の水道なり、故に守口よわ山田村迄凡五里計也、
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