『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.221

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を贈り、過し頃は長老の御情にて、急難をまぬかれ申候、此恩忘るからす, も、食事を玉はり候へといふによりて、飯をあたへけれは、悦ひ食ひて、殘り, しを三尺手拭ににゝみて歸れり、其夕方に男四人出來て、前の〓くに云て、, 住持の御情にて此方にかくし給はれとて、五人ともに刀脇差を、三尺手拭, にあけ隱し置、寺中の者にも知らせすしてかくし置ける、餘りも過し後に、, にてくゝりて差出しけれは、長老も餘儀なく、此上は心得候とて、天井の上, 東國に歸らんとて、いとま乞して出さりぬ、其後に水野惣兵衞尉より使者, 十一日, 同十年五月、家康公赴于安土、忠重陪從、六月二日、明智光秀〓其君信長父子、, 東福寺の靈源院の裏なる山の方より、男一人出來りて、住寺の長老に逢て, 三日に成候へとも食事を致さす、寔に餓につかれ候へは、御慈悲に何成と, 時家康公在泉州堺府、忠重潛身於東福寺山林而窺事、, 申やう、我等は此亂にののれ隱れし者なり、此山の内にかくれゐて、けふ迄, 水野家譜水野和泉守忠重, 〔明良洪範]纖田信長の父子京にて亡ひ、海内大亂なりし、其後三日を過て, 宗兵衞殿、苅屋へ御越候由候、, 〕, 信元ノ弟也、, 忠政ノ九男, ○上, 下略, 下總, 結城, 酉, 丁, 源院ニ隱, 東福寺靈, 天正十年六月四日, 二二一

割注

  • 信元ノ弟也、
  • 忠政ノ九男
  • ○上
  • 下略
  • 下總
  • 結城

頭注

  • 源院ニ隱
  • 東福寺靈

  • 天正十年六月四日

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  • 二二一

注記 (29)

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