『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.586

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故、遠淺を渡し、馬の足はつるゝ所をおよかせ、何の手もなく唐崎え著申候、, 左馬助出合頭に出合、則合戰仕、打出の濱にて火花を散し戰候得とも、左馬, 大津の浦にて詠居たる秀吉公の軍兵數千人、すはや左馬助渡し濟したる, つ松の本にて馬より下り、息合を馬に飼、松の根に腰かけ、追來る人數をな, 場に坂本の城へ乘切てかけ入、町中に十王堂あり、其堂の前にて馬より下, より下り給、御先手堀久太郎秀政、二千にて大津八丁札の辻へ出ると、明智, り、〓乃まつりを切て、堂の格子に絆付、頭を高張上、矢立硯取出し、紙牌に、明, 者數を不知候、明智左馬助は白練に雲龍書たる羽織に、二の谷と云甲を著, 候、左馬助坂本の城に久々罷在、大津より唐崎迄の海上の淺深を兼て存候, 助は小勢ゆへ打負候、本道は大敵取切不除得候に付、湖水へ乘込申て、被打, は、あれ遁すなとて、海端を喚叫て馳來る、左馬助は無恙唐崎へ乘上り、ひと, 吉公乃諸軍勢、海端に立並んて、左馬助只今水に溺れて死るを見よと詠居, かめて、遠見して休居ま、追手の勢四五町に近付時、左馬助馬に打乘、只一馬, し、大鹿毛と申馬に乘湖水へ乘入、志賀唐崎の一ツ松を目當、馬を泳せ候、秀, 智左馬助秀俊只今湖水を渡候馬也と書付、手取髪に結付置、其身は城へ入, ヲ渡ル, 秀滿湖水, 天正十年六月十四日, 五八六

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  • ヲ渡ル
  • 秀滿湖水

  • 天正十年六月十四日

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  • 五八六

注記 (19)

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