『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.390

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に打乘かけ付候處、勝助歩にて城の方へ進み行を見付、聲をかけ候へはふ, りかへり、鑓は合を候へ共、しるしなくては御本陣へ參るへき樣なし、城中, 共を切拂ふ内に、向ふ敵は引取、其外の敵も散〳〵に成る、此働を藤堂殿の, きの樣子き被聞召屆候と御意之通申聞を、無理に同道いたし、御馬所へつ, 郎疵養生ニ有馬に湯治たし、其時平佐牛之助も參り合、右之事共牛之, 聞召、殊の外骨折候、御食被下候間、給候へと御意ニ〓被召出候, なる躰にて、殊の外かセき被申候、多分討死可被仕といふを被聞召、折節父, 平佐か申上候事とも被仰、扨々不便なる事と被仰候、龜之助御前を罷立、馬, 勝助と鑓合候は、大坂にて大將分之者の子分部又四郎と申候、後年又四, 通り候〓、續勝助只一人敵六七人と鑓を合セ候、其外歩の者まて取卷難儀, へかけ入頸を取候か、左なくは討死可仕とてなを進むを、龜之助止て、かセ, れ歸り候、此比勝助は御前惡敷、久々御詞も不被懸候ひしか、右働の次第被, 内平佐牛之助と云者、勝助跡にて鑓を合手負引取る折節、忠興君の御前を, 龜之助高名いたし御前ニ罷出候に、殊の外骨折しと見へたりと御感有、右, 助より勝助ニ書状遣候、分部ハ大坂之申立ニな、松井加賀守殿へ大身ニ, 元和元年五月七日, 三九〇

  • 元和元年五月七日

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  • 三九〇

注記 (17)

  • 1097,646,64,2214に打乘かけ付候處、勝助歩にて城の方へ進み行を見付、聲をかけ候へはふ
  • 981,642,65,2226りかへり、鑓は合を候へ共、しるしなくては御本陣へ參るへき樣なし、城中
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