『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.109

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皆〓みけると也, たりけり、夫より後數月に成て、首のめくり彼〓の跡しきりに〓く堪かた, 鉢卷を結添、漸陣屋え歸り、夫より療治しけるに、闇敷中なれは、早愈に仕り, て立上りけるか、首筋したゝかに切られしかは、甲を〓て、我頸を指物竿に, て甲〓透間有ける所を、一なくりして走り行ける、甚之助、終に敵の首を切, 國か、備前國か、御所望可被成御思召有ける故、内々にて御辭退被成けると, 城の節近く成て、落人多見へけるを追討せしか、敵を組臥せ、首をかき候所, 土地不宜、物成も少き所にて、御所替は御無用に御座候由申ける、兼々紀伊, かや、此坊主を能知たる人の申は、館林近所に新田地を大分持て、中々大〓, に、敵の傍輩是も落けるか、走り通りなから、薙刀を以て甚之助か敵を押へ, 光の刀、子孫に傳へ今に有、天正之小田原陣に、康政公の御供して働しか、落, 毎器用に、殊に水戸邊案内者にて有しかは、彼地之事御尋被成候所、常州は, 南甚之助は、度々武邊の有し人也、南部家え懇意に預りし由、拜領したる兼, の知行よりは多く所務有て、水戸え御越被成候はゝ、彼新田すたり損也と, 思ひて、右のことく水戸を嫌ひ、不宜地と申上けり、年經て後、御家中にて皆, ○中, 略, 辭退ノ内, 康政水戸, 南甚之助, ノ武勇, 情, 慶長十一年五月十四日, 一〇九

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  • ○中

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  • 辭退ノ内
  • 康政水戸
  • 南甚之助
  • ノ武勇

  • 慶長十一年五月十四日

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  • 一〇九

注記 (24)

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