『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.901

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吉兵衞、藏人との供のものとの間を立ふさき押ゑ、少し奧の御番所へ、まか, も御詮義の内、下百石町へ下り申度旨、訴訟申上候者も有之ニ付、願の通に, 處を、透間もなくつゝいて、竹森六之助走りより、脇差をぬき持、前へ廻り、藏, 被仰付、御下ケなされ候、下へのき果す者も纔になり、其日は過て、翌六月廿, 有之候へとも、尋出し、又は藏人か屋敷へ引籠候者も、數多御座候を、家來と, り通らんとする處を、兼平源助聲をかけ、藏人か後よりいたき付、組留申候, 人をけさかけに切付る、其時、藏人大脇差をぬき、既に源助を引立、源助かい, 人にて討留申候、右吉兵衞、六之助、源助、孫助四人にて討取申候、其時藏人内, の組の者とも、并連判の者家來なとは、方々の山々所谷にかくれ退候者も, 兵衞、八木專太郎不儀に付、御成敗になり候, たき付たる手よりぬけ出、かけ出候處を、服部孫助、竹森六之助追つき、右兩, の朝、, 夜の明はなれに、藏人, 屋形樣へ御暇乞に參り、御廣間へ上り候節、東海, 九里武, 申上候得者、御前大に御耻入之御樣子にて、奧へ入給ふ、其後、御行跡も宜敷, 相成申候, 廿日, 〔津輕信枚公御代日記〕慶長十八癸丑年二月廿七日、, 源左衞門イ, 年二月とあり, 津輕舊記二同〃, ○中略、大抵上ノ, 一説には、十七, ○高, ○六, 月、, 坂、, 慶長十七年六月二十日, 九〇一, 慶長十七年六月二十日

割注

  • 年二月とあり
  • 津輕舊記二同〃
  • ○中略、大抵上ノ
  • 一説には、十七
  • ○高
  • ○六
  • 月、
  • 坂、

  • 慶長十七年六月二十日

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  • 九〇一
  • 慶長十七年六月二十日

注記 (31)

  • 1303,642,65,2213吉兵衞、藏人との供のものとの間を立ふさき押ゑ、少し奧の御番所へ、まか
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