『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.810

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殘置、是へ誘引を懸たりと覺る也、是を追詰住吉へ來らは、堺の奇兵横鑓を, 旨申遣候へ共、左馬助不承引、乍去東勢近付たりと近邊皆噪のゝしり候ニ, 付、何方へか寄手は近付たるらんふしき也とて、手勢僅百七八十にて堺を, 入、胴勢の中を取切らんとの手立成へし、壹人も不可出と堅いましめ下知, 邊ニ見へ候こ付、大野主馬追々に人を遣し、左馬助に、一刻もはやく可引取, 近隣を亂妨ス、内膳、玄番は東野平野藤井寺巴引野近邊迄備頭見へ候なと, 方大野主馬頭か組ニ、新宮左馬介は、赤座内膳、槇島玄番と一所に堺に有て、, 殘居、近邊を侵掠しに、藤堂高虎、松平下總、石川主殿以下の大軍旗先平野近, たるかと云程こそあれ、捨鞭打て住吉さして逃たりけり、藤堂か先手能物, そと皆々乘出々々追懸んとせしを、渡部勘兵衞下知しけるは、堺に寄兵を, 去事二町余に備たる所へ出合頭ニ押上たり、左馬助俄ニ驚て、敵は爰に有, ゝ注進有しかは、早々大坂へ引取、新宮左馬介は、無極大膽成者にて、堺ニ猶, せし、依之新宮は命一拾たる心地にて、大坂さして引取、主馬か組の米田監, 出、住吉の南の原へ押上て見れは、藤堂か先手渡部勘兵衞千余にて、岸際を, 爲明、石川主殿頭忠總、何も平野口ゟ、住吉、安倍野原へ押出申候、其折節大坂, 遇ヒテ逃, 虎ノ軍二, 新宮某高, 堺ヲ侵掠, 去ル, 大坂ノ兵, ス, 慶長十九年十一月五日, 八一〇

頭注

  • 遇ヒテ逃
  • 虎ノ軍二
  • 新宮某高
  • 堺ヲ侵掠
  • 去ル
  • 大坂ノ兵

  • 慶長十九年十一月五日

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  • 八一〇

注記 (24)

  • 391,704,59,2212殘置、是へ誘引を懸たりと覺る也、是を追詰住吉へ來らは、堺の奇兵横鑓を
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