『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.246

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右は寛永八年五月の書付也、, 中悉く落行、僅に上下廿七人相殘、遂和談をなし明渡すと、堀覺左衞門か書付に載たる, 御事、, こ候間、内藏助殿、私ヲ進上申し、其ゟ内藏助殿へ被召出、津田與兵衞と申仁こ被指添、小, 五と申者、上松大膳主從四人、以上八人は、堺上口ノ木戸ヲ開き、しつ〳〵と罷退申候、右, 之せうこ長谷川宗左衞門、藤卷三右衞門と申者、于今さかいこ有之、能々存申候事、, 妻子御とらへ候て、御せいはい可被成候由被仰出こ付て、二郎右衞門此上之義は無是非事, るにより、明渡したる事を載たるも、天正十二年の九月、景勝取卷けるこより、城兵は夜, 按に、右野上甚五左衞門の書付こは、越中堺ノ城佐々成政方と持けるを、越後より攻け, いへれと、是も彼堀覺左衞門か書付に載たる、三百餘の城兵夜の内に悉く落行とある城, 懸申時、さかい町口こおゐて、兩三度之合戰之時、大將の秋山ヲ馬上ゟつき落し申候、然共, 味方負軍こ付て、悉ク城ヲ明、或は狹間をくゞりかけおち申候へとも、私兄弟三人、今井傳, 時の事にて、野上甚五左衞門兄弟以下八人、堺上口の木戸を開き、しつ〳〵と罷退くと, 一其後堺ノ城内藏助かたゟ持候て有之時、越後おつる水の城主秋山と申仁、堺へ夜こみに押, 津ノ城え被遣候、其時者堺ノ城越後より持候て有之ヒ付て、夜込こ押懸一番首ヲ討取申候, シテ小津, 左衞門ヲ, 城ヲ守ラ, ノ秋山定, 越後落水, 成政甚五, 綱境城ヲ, 攻ム, シム, 天正十二年九月十八日, 二四六

頭注

  • シテ小津
  • 左衞門ヲ
  • 城ヲ守ラ
  • ノ秋山定
  • 越後落水
  • 成政甚五
  • 綱境城ヲ
  • 攻ム
  • シム

  • 天正十二年九月十八日

ノンブル

  • 二四六

注記 (26)

  • 749,715,62,704右は寛永八年五月の書付也、
  • 410,717,79,2154中悉く落行、僅に上下廿七人相殘、遂和談をなし明渡すと、堀覺左衞門か書付に載たる
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