『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.197

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に手者五千餘騎は籠たるらむ、縱一萬騎と云とも、なしかは被破へきとて, れは、城を構へ、他國を打取らは、のこる籌策もあるへからす、此まゝにてこ, 也と申さは、大内此儀に同し、軈材木を集め、數百人の番匠を以、種々の工を, るは、蜀乃諸葛亮か呉國を打取らむとて、江によて天地風雲飛龍翔鳥虎翼, 捨て出ては、和泉、紀伊國乃國人皆京の御方へ可參、然者御方は彌御勢すお、, の城を打取らは手者をも可拔、大事の前の小事に人力を盡さむ事も無盆, を背心あるへからす、其上兵粮材木多き所なれ、思樣に要害を構て、他國, 盡して、勢樓四十八、矢櫓一千七百、東西南北各十六町、魚鱗鶴翼の陣を張け, 和には不如とて、險阻の城を構んよりは、人を利さよとこだ見へて候へ、此, そ後訴もあらんすれと、心中に思きれは、海上の事片時も風波難測、又堺打, を一時に可決と申きれは、平井本より此謀叛無盆の事と〓に諫きる者な, 蛇蟠の八陣を造しも、是には過とそ見へきる。大内城の體打廻て見て、此内, 御所勢は彌重なるへし、多勢に無勢不可叶、天乃時は不如地利、地利は人の, 所者當方の管領として非義を致けゝる間、土民も悦の眉を開て、聊も御方, にて、尼崎に取あかり、其より八幡の御陣にかゝりて、思樣に合戰して、勝負, 勸ム, 堺籠城ヲ, 平井道助, ノ説ニ從, 義ヲナサ, 義弘堺ヲ, 領シテ非, 義弘道助, 井樓, 矢櫓, ズ, フ, 應水六年十一月二十九日, 一九七

頭注

  • 勸ム
  • 堺籠城ヲ
  • 平井道助
  • ノ説ニ從
  • 義ヲナサ
  • 義弘堺ヲ
  • 領シテ非
  • 義弘道助
  • 井樓
  • 矢櫓

  • 應水六年十一月二十九日

ノンブル

  • 一九七

注記 (29)

  • 218,670,67,2192に手者五千餘騎は籠たるらむ、縱一萬騎と云とも、なしかは被破へきとて
  • 1617,685,68,2193れは、城を構へ、他國を打取らは、のこる籌策もあるへからす、此まゝにてこ
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