『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.593

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なれはとて、井戸と銘さられてこ花を賜ふ、後定次罪かうぬりて、所領を, の後數年を經し、彼茶碗五箇を東照宮に獻し、五箇をもつて、秀頼にまい, 廩米三千俵を學乃ひ、台徳院殿に仕へたて」乃つり、十五年九月、廩米をあ, 右京進重長若年たるにより、鈞命を奉はり、これを輔て、だの士卒を指揮, らするの處、東照宮其ひとつを返しをまひ、覺弘か得となところのもの, す、其後台徳院殿及ひ大猷院殿御上洛乃とお、しは〳〵供奉に列す、寛永, 四年、召によりて江戸に下り、東照宮、台徳院殿に乃みえ學てまつり、七月、, 十年二月二十六日致仕す、このとき、曾て男良弘に〓まはまところ乃采, 地五百石を賜はりて、養老乃料にあてらる、十五年十月十七日死す、年八, 沒收さらるゝのとき、覺弘處士となりて、大和國柳生谷に籠居す、慶長十, をたまふ、十九年、大坂御陣乃時は、安藤對馬守重信の麾下に列し、其長男, らためふ、常陸國眞壁、下野國都賀兩郡乃内にをいあ、采地三千四十石餘, をあらはし、彼地にをひて、鞍及び高麗燒乃茶碗十箇を得豊りしを、凱旋, 肥前國名護屋にい學り、岐阜宰相秀信か手に屬して、朝鮮に渡海し、武功, 十三、法名覺齋、駒込乃養源寺に葬る、妻は土岐氏乃女、, 陣ス, 井戸ノ茶, 秀忠ニ仕, 碗, 朝鮮ニ出, 天正十年六月十四日, 五九三

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  • 天正十年六月十四日

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  • 五九三

注記 (22)

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