『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.631

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され、勉勞積く、公寵權勢並ふ人なし、世に名高き春日局是也、沒後麟祥院と, にて可致返答とて立別れ、其後打寄相談之上、許容の致返答、公儀の刻印も, は、町内の密事にして、語らされは知れかたし、又齋藤藏之助利三は、無隱勇, 意ふに、右の町に何を奇怪か、正敷夢想の告にても有て、如此成にや、其子細, 士にて、諸録を〓に、信長の隷士にて、明智か摩下に屬すとも、又は明智か腹, 心の臣の樣にも見えたり、兩説不詳、逆戰の時を以考れは、明智か臣の如し、, 門は少もかまはす、欝としきとて、皆伐拂ひぬれとも、何の咎もなしとかや、, 印有、淀侯よりも、采地貳百石を寄せられ、崇敬最丁寧也、親利三は、夫に引替、, 大刑の人なれは、僅に眞如堂高陽院に墓殘れるを、當院主其由緒を淀侯へ, 不得、左あらは、一存にて即答も如何也、罷歸り、一家どもにも相談を遂、其上, 光秀と倶に首を梟せらる、利三か女は、不圖も後年大猷公の御乳母に召出, 頂戴して相濟けると也、但理右衞門居宅にしては勝手惡き故、抱屋敷に致, 稱、その墓は、洛西妙心寺塔頭に在、則其院を麟祥院と云、公儀よりも、則御朱, に是非共讓んと云、その子細を尋れとも、其樣子は不語、理右衞門も止事を, し、其庭に在る古木の生茂りたるを、是迄は懼れて手も指をりしに、理右衞, 天正十年六月十七日, 六三一

  • 天正十年六月十七日

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  • 六三一

注記 (17)

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