『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.51

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

事を、つゐに見ぬとて、御あとにつきて參りて候と申されしかは、御覽して、, 其後に又陸奧守へ被仰付て、いよ〳〵其堀もぬかくさられし也、觀世やし, 鶴とらさられて、御氣色よかりし時に、わかきものとも、御鷹のものとり候, 駿河衆、引うつるに至て、今の〓くに、水戸殿の前の堀を、淺草へほりつゝけ、, 其土を以て、土堤をつかれて、内外の隔出來て、こなたを駿河臺と名付たり、, 其時の川筋の水の殘りなり、此處に鶴の下りしを聞召、台徳院殿御あはせ, 有へしとて、御出の時に、御番衆の二三人見んとて、御番所より私に跡に付, ふへし、我あとより參れ、よきにすへきといふほとに、しりにつきて參るに、, の内藤駿河なとの屋しき也、それ故に、内藤やしきに今も池有といふ、これ, て來りしを、土井大炊頭の見付て、皆は當番にてはなきかと問、いかにもと, 樂町といふには、觀世太夫か屋敷ありて、座のもの少々居たりき、さてかの, 答へしかは、御番所を仰もなくてうちあけて參りては、必す御しかりに逢, 誠に彼等はいまた見候事はあらしと御わらひなされたりといふ、その猿, 落入りて、少しひきくなり、さてだの流の平川へ落入らむとする筋は、唯今, く見ゆる所、即其川筋なり、夫を埋みしかと、後又落入たれは、又築しかと、地, 元和二年五月二十一日, 田川ヲ掘, 仙臺藩神, 内藤屋敷, 擴グ, 元和二年五月二十一日, 五一

頭注

  • 田川ヲ掘
  • 仙臺藩神
  • 内藤屋敷
  • 擴グ

  • 元和二年五月二十一日

ノンブル

  • 五一

注記 (22)

  • 890,634,69,2237事を、つゐに見ぬとて、御あとにつきて參りて候と申されしかは、御覽して、
  • 306,637,70,2216其後に又陸奧守へ被仰付て、いよ〳〵其堀もぬかくさられし也、觀世やし
  • 1008,631,66,2226鶴とらさられて、御氣色よかりし時に、わかきものとも、御鷹のものとり候
  • 538,634,68,2234駿河衆、引うつるに至て、今の〓くに、水戸殿の前の堀を、淺草へほりつゝけ、
  • 421,636,71,2232其土を以て、土堤をつかれて、内外の隔出來て、こなたを駿河臺と名付たり、
  • 1592,636,66,2212其時の川筋の水の殘りなり、此處に鶴の下りしを聞召、台徳院殿御あはせ
  • 1476,635,66,2223有へしとて、御出の時に、御番衆の二三人見んとて、御番所より私に跡に付
  • 1126,645,66,2223ふへし、我あとより參れ、よきにすへきといふほとに、しりにつきて參るに、
  • 1710,644,65,2208の内藤駿河なとの屋しき也、それ故に、内藤やしきに今も池有といふ、これ
  • 1358,639,63,2213て來りしを、土井大炊頭の見付て、皆は當番にてはなきかと問、いかにもと
  • 657,636,67,2215樂町といふには、觀世太夫か屋敷ありて、座のもの少々居たりき、さてかの
  • 1239,636,66,2221答へしかは、御番所を仰もなくてうちあけて參りては、必す御しかりに逢
  • 772,636,70,2222誠に彼等はいまた見候事はあらしと御わらひなされたりといふ、その猿
  • 1826,638,67,2215落入りて、少しひきくなり、さてだの流の平川へ落入らむとする筋は、唯今
  • 1942,641,68,2205く見ゆる所、即其川筋なり、夫を埋みしかと、後又落入たれは、又築しかと、地
  • 205,723,46,433元和二年五月二十一日
  • 306,281,42,171田川ヲ掘
  • 353,276,41,175仙臺藩神
  • 1706,278,42,174内藤屋敷
  • 261,277,43,84擴グ
  • 205,724,46,433元和二年五月二十一日
  • 216,2448,44,68五一

類似アイテム