『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.647

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處に、京都の變を聞とひとしく、大に騷立、郎等とも方々へ落失て、殘りしも, 公へ被申候は、甲州の義は、駿河へ取續御領並の義こも候へは、川尻に御心, にて、用心の爲也、肥前守甲州郡内に居て、信長公の權威をかり、人を人とも, 我屋に招た入害しけれは、郷民とも彌發り起て、同十八日、河尻か舘へ責掛, のともわつか三十人餘はかりなり、肥前守却而公を疑ひ、謀を以て、國人に, 割あたへられ候節、西上野の義は、一圖に瀧川一盆に給り、厩橋の城に可罷, の生害を告させ給ひ、且又此節の事なれは、人の心もはかりかたしと有事, 一揆を發させ、我を誅さしめんとの事也と思ひ、本多り助を六月十四日夜, り、終に肥前守を討取り、首を山縣か家人三井彌市得たりけり、河尻肥前守, 思はす、諸人に辛き目を見せけれは、國人等親すら大に恨み惡みて罷在る, 在旨被申渡、甲州半國をは、川尻肥前守へ與へ被申との義也、其節信長、家康, 差置れし河尻肥後守重能方へ、本多百助と名倉喜八郎兩人を遣され、信長, 〓わ, 重能思慮なくして、甲州の先方を抱ゆる事なく、郷民をあはれまさりし故, 〔落穗集〕右信長在世の内、上の諏訪に於て、勝頼の領地の分をは、何れもへ, ○家忠日記追加、秀隆ノ, 殺サルヽヲ十九日トス、, 天正十年六月十八日, 六四七

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  • ○家忠日記追加、秀隆ノ
  • 殺サルヽヲ十九日トス、

  • 天正十年六月十八日

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  • 六四七

注記 (19)

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