『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.680

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野信濃の武田先方衆表裏なた故也、, 候と申に付、瀧川上へ參度と有故、上野衆人質を出し、信州眞田迄送、眞田の, 人質を取、木曾迄送、眞田衆肝を入、木曾の人質を取、上方へ瀧川を送るは、上, 馳走申へく候、又上へ御上りに付ては、人質を出しあふなけなく送申へく, へ働懸、上野衆小幡、内藤を始、勝頼家の助られ學る先方衆申合、合戰仕、北條, れ共、柴田、瀧川兩人は、一入名高き侍大將故、其日も負たる色なく。前橋の城, 野先方衆始乃御辛勞返禮にと申て懸候へ共、松田尾張只一手に仕負、瀧川, 瀧川一盆は、上州厩橋の城にありしが、信長御他界の旨を聞とゞ為、此よし, 懸付たるに、瀧川剛なりと申せ共、わつかに三千にて、二乃合戰に瀧川仕、上, 敗軍して、前橋へ迯入、併瀧川、信長内にて、柴田、瀧川、丹羽五郎左衞門、佐久間, 右衞門、羽柴筑前、佐々内藏助、前田又左衞門、川尻與兵衞、是九人覺の先衆な, 衆を盡追くはし討取、其跡へ、小田原より氏直一家の總人數三萬餘にて、盡, にて小皷をうちてゐたるを、上野侍衆、瀧川に向て申は、是にまし〳〵候者、, 〔北畠物語〕七一盆上國の事, 〔甲陽軍鑑〕二十北條氏政父子は、信長切腹を聞給ひ、はや敵に成、瀧川方, 木曾義員, 幹斡旋シテ, 手ニ敗ラ, 一盆松田, 憲秀ノ一, 眞田昌幸, ノ人質ヲ, 取リ伊勢, ニ還ル, ル, 天正十年六月十九日, 六八〇

頭注

  • 木曾義員
  • 幹斡旋シテ
  • 手ニ敗ラ
  • 一盆松田
  • 憲秀ノ一
  • 眞田昌幸
  • ノ人質ヲ
  • 取リ伊勢
  • ニ還ル

  • 天正十年六月十九日

ノンブル

  • 六八〇

注記 (27)

  • 393,628,59,1067野信濃の武田先方衆表裏なた故也、
  • 625,629,63,2188候と申に付、瀧川上へ參度と有故、上野衆人質を出し、信州眞田迄送、眞田の
  • 510,622,64,2198人質を取、木曾迄送、眞田衆肝を入、木曾の人質を取、上方へ瀧川を送るは、上
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