『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.150

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れての事也、合戰あらば越後勢は僅カ七千、關東勢は四万なれは危かり, たし候へば、三河家康公へ隨ひ、家康公三河え御歸陣被成ル也、景勝公も, 勢如何ほとも難計備なり、たとひ越後勢の一倍味方ありとも、不知他國, 直は此御手たてにおそれ、夥敷人數と云て、一家の衆と相談也、越後之軍, 利河内守秀政、小諸ノ道家彦八郎正榮以下、織田家ノ被官等追々京師ヘ逃, 勢を目の下タに御見物なり、此山の高く四方二十里の所は見ゆる也、氏, 氏直力をおとし、早々引んとて退るゝは、三郎殿亂の御手並みを聞及、恐, ける事共也、諷ちいさ方の者共は、氏直には捨られ、景勝公へは不義をい, 浦源吾國清を被差置て、七月下旬こ御歸城也、, 四郡の御仕置被成、梅津の城代に屋代越中を居置れ、四郡の守護代に山, 登リシ故、小田原ノ氏政父子五万餘ニテ、信州川中嶋へ出張景勝主モ八千, の事なればいかゝせむとあり、然所に春日彈正御成敗の事きこへて、彌, り小旗を出し被置、亦梅津の城より鞍還山まで、山里に小旗たてゝ、關東, ノ兵ヲ率ヒ、筑摩川下米宮ノ瀬ヲ隔テ、別隊ヲ一隊ニナシ、獅振龍ノ丸備ニ, 〔北越家書〕二十〓年七月、森勝藏長可ヲ始、信州割處ノ諸將、伊奈郡ノ毛, 天正十年七月是月, 還ス, 小縣ノ諸, 氏直兵ヲ, 士遂二家, 康ニ從フ, 一五〇

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  • 還ス
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  • 1099,715,74,2147れての事也、合戰あらば越後勢は僅カ七千、關東勢は四万なれは危かり
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